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伊是名島のなんだかとても眠いんだ選手権|Quiz

パトラッシュ、疲れたろう。僕も疲れたんだ… なんだかとてもクイズを出したい気持ちなんだ。それも伊是名島の偉人にまつわるクイズなんだ。全問正解したらルーベンスの絵を一緒に見ようね、パトラッシュ。


問1 尚円(金丸)の幼少の頃の呼び名は何ですか?

ア)松金マツガニ
イ)樽金タルガニ
ウ)駒ヶ根コマガネ
エ)次郎ジルー

問2 尚円(金丸)が生まれたときに産湯を浴びたとされる場所はどこですか?

ア)石川いしかー
イ)小禄井うるくがー
ウ)潮平川すんじゃがー
エ)前川めーがー

問3 尚円(金丸)が伊是名を出たときの同行者で正しい組み合わせは次のうちどれですか?

ア)妻と弟
イ)妻と子ども
ウ)姉と弟
エ)父と祖母

問4 尚円(金丸)が伊是名を出て最初に身を寄せた場所はどこですか?

ア)国頭村宜名真
イ)大宜味村田嘉里
ウ)今帰仁村今泊
エ)恩納村南恩納

問5 尚泰久王の時代、尚円(金丸)は「御物城御鎖之側おものぐすくおさすのそば」に任じられましたが、この役職は主にどのような仕事を扱いましたか?

ア)役人の人事
イ)対外貿易
ウ)税の徴収
エ)裁判

問6 尚徳王と衝突した尚円(金丸)が現在の西原町の領地にひきこもったときに住んでいた場所はどこですか?

ア)伊江御殿
イ)幸地グスク
ウ)内間御殿
エ)翁長番所

問7 尚円(金丸)が王位に在位した期間は次のうちどれですか?

ア)6カ月
イ)6年
ウ)16年
エ)32年

問8 尚円(金丸)の治世下で創建された寺院ではないものは次のうちどれですか?

ア)天王寺
イ)崇元寺
ウ)龍福寺
エ)袋中寺

問9 鮫川大主サメカワウフヌシがつくったとされる伊是名村内の名所はどこですか?

ア)陸ギタラ
イ)逆田
ウ)美織所
エ)伊是名グスク

問10 琉球王国第一尚氏の国王のうち鮫川大主の長男だという説があるのは誰ですか?

ア)尚思紹
イ)尚巴志
ウ)尚泰久
エ)向象賢


問1の答え ア)松金
金丸の幼少の頃の呼び名は、伊是名島では「松金」と伝わっています。『中山世譜』などの首里王府の歴史書には「思徳金ウミトクガニ」とも記されています。伊是名村民で演じられる「史劇尚円王-松金がゆく」という市民劇もありましたね。

問2の答え ウ)潮平川
金丸に関わる史跡は、他に尚円の臍の緒を埋めたとされる「御臍所みほそじょ」、金丸が島を出るきっかけとなった「逆田さかた」があります。潮平川と御臍所周辺は、尚円王御庭公園として整備され、若き日の金丸像も立っています。

問3の答え ア)妻と弟
金丸は20歳のとき父母を同時に失っており、姉と弟の兄弟がいました。島を出たときには、姉は島に残り、妻と弟を連れて島を出ました。弟の宣威は、尚円死去後、2代目の国王となった人物ですが、妻の消息は歴史書では全く語られておらず、王妃オギヤカとは別人のようです。

問4の答え ア)国頭村宜名真
伊是名を出た金丸は、国頭の宜名真に落ち着き先を求めましたが、そこにも長い期間はおられず、やがて首里に上りました。宜名真の住居だった地は、のちに「宜名真御殿ぎなまうどぅん」として伊是名島の名所とともに第二尚氏の聖地とされました。

問5の答え イ)対外貿易
金丸は1459年に「御物城御鎖之側」となりました。当時の琉球は、中国や東南アジアと貿易関係にあり、対外貿易の担当職は重職だったと考えられます。ちなみに「御物城」は那覇港にあった施設で、現在も石垣の一部が残るなど大交易時代の面影を伝える数少ない遺跡です。

問6の答え ウ)内間御殿
金丸は尚泰久王の頃に、西原間切内間の領主となりました。この内間御殿も第二尚氏の聖地として、18世紀に数回の整備が行われました。現在もその屋敷跡が残っています。ちなみに伊江御殿は、伊江島の領主となった王族の屋敷です。

問7の答え イ)6年
首里城でクーデターが発生したのは1469年。金丸は翌年1470年に即位し、1476年の死去まで6年間在位していました。その在位期間には、中国との外交・貿易の振興に力を入れ、新王朝の基礎がためを行いました。

問8の答え エ)袋中寺
尚円の頃に創建されたのは、天王寺(首里)、崇元寺(那覇)、龍福寺(浦添)です。崇元寺の石門は現在も立派に残されており、国指定文化財です。袋中寺は、1603年に来琉した袋中上人を顕彰するため、1937年に京都壇王法林寺の住職が那覇に建てたお寺です。袋中上人は3年間しか琉球に滞在しませんでしたが、尚寧王との交流も深く、また彼の残した念仏踊りがエイサーの起源になったという説もあります。

問9の答え エ)伊是名グスク
鮫川大主は「伊平屋島」(伊是名・伊平屋の総称)出身といわれています。伊是名グスクは13~15世紀に築城されたもので、グスクの内部には拝所が3ヵ所あり、現在も島人の信仰の対象となっています。海抜約98㍍の圭石岩のグスクは、ピラミッドのような幾何学的な美しさを漂わせています。

問10の答え ア)尚思紹
鮫川大主は「伊平屋島」を出たのち、遠く佐敷の地で大城按司の娘をめとり、息子・尚思紹ショウシショウ、娘・馬天ノロをもうけました。思紹は息子の尚巴志とともに三山を統一し、第一尚氏王統として琉球王国を成立させました。また馬天ノロは佐敷間切の神女職で、重要な職として後世も引き継がれました。第一尚氏、第二尚氏ともに琉球の王権は「伊平屋島」からはじまっていることは、とても興味深いことです。

イブの夜、ネロとパトラッシュは天に召されました Ring-a-Ring o' Roses


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