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名著を疑え!|マーガレット・ミードとサモア|Review
『マーガレット・ミードとサモア』
デレク・フリーマン著、木村洋二訳、みすず書房、1995年
レビュー日はずいぶん昔/書籍★★★☆☆
『サモアの思春期』が日本でどれだけ読まれたか想像しかねるが、アメリカではベストセラーだったらしい。文化人類学の古典のひとつであり、サモアが「性の開放地」「ストレスのない島」としてエキゾチックにまなざされるきっかけとなった本である。おそらくポリネシアの観光産業に最も貢献した学術書のひとつでもあるだろう。
そして、著者マーガレット・ミードはこの一冊によって文化人類学というアンダーグラウンドの女王になった。
それについてのあからさまな反論が本書である。デレク・フリーマンはいう。この本は嘘だ。ミードはインフォーマントだったサモアの少女たちにからかわれた。そして間違った文化の報告をした、と。
そもそもミードの師ボアズは、人間の心理形成には後天的要因、すなわち文化環境が決定的に作用すると考え、それを証明する民族誌データを探していた。ミードの視点が師の考え方に方向づけられていたがために、恣意的な文化の切り取りをした――フリーマンはこのように推理している。
サモアの現実が本書のとおりだとしたら(たぶんそうなのだろう)、確かにミードはまぬけで不誠実なフィールドワーカーである。自分が得た情報を検証することを怠った不手際は責められるに値する。
しかし、彼女が描いたサモアはまったくのフェイクだったのだろうか?
それは違うと思う。『サモアの思春期』は彼女とサモア島民との民族誌的出会いを記録しており、その限りにおいて一回性の事実が文章化されているとみることもできる。
その根拠は「タウ・フェアセエ」にある。「だましてからかう」と訳されるこのサモア流のいたずらが、ミードの記述を決定した。ならば『サモアの思春期』は「タウ・フェアセエ」というサモア文化の忠実なモノグラフである。からかわれたミードを介して読者もまたからかわれることで、私たちもサモア文化を当事者として追体験できた。つまり寓話的価値がある。
特筆すべきは、1920年代のサモアの少女たちが世界をからかうことを可能にした「民族誌」というメディアである。この時代の民族誌はワールドニュース媒体であったし、文化人類学は近代前衛精神に対しての興奮剤たりえていた。しかし、それらが帝国主義や植民地主義の要素抜きにして語れないことは、多く指摘されているとおりである。
サモアの少女のからかいは、そうした下心を隠しながら、「辺境」や「無文字社会」を代弁しようとする文化人類学の営為に向けられている。「そうじゃないわよ。文化を語る決定権は私たちにあるのよ」と意志表示しているようにも読める。
逆にいえば、ミードがしたような道化を演じることで、民族誌は少数の側の抵抗運動としても機能する。民族誌がそういう役割をもちうることを、からかわれることで実践したミードはやはり偉大である。
「タウ・フェアセエ」を操ることによって、サモアの少女たちは文化的主権を譲り渡さなかったのだ、という痛快な深読みを可能にしてくれた本書に感謝する。