津堅島の年中行事 まとめ|Field-note
津堅島の年中行事、いかがでしたか? マータンコーのようにここにしかない行事もあったりして興味深いですね。マータンコーは聞き取りでは報告したような内容しかわかりませんでしたが、もともとはシヌグ系の行事だったと考える人もいます。
また、アミルシ、アミルシグヮー、ウフアミルシと似た呼称の祭事があります。アミルシは豊作・豊漁の祈願が目的で、マータンコー儀礼の一部だとも考えられるのに対し、アミルシグヮーとウフアミルシは男子の通過儀礼的な意味合いがあります。本来は何らかの関連性があったものと受け止められます。
祭祀の母集団による区分
全46祭祀中、最も多いのがやはり村落レベルで26件、次いで家族レベルで17件です。家族祭祀の中にも親族が登場するものがあるので、親族レベルはカウントの4件よりも実質は多いことになるでしょう。組レベルは2件ですが、疫病除けのシマクサラーを組単位で行なっているのは興味深いですね。津堅では屠殺対象は牛ではなく豚ですが、「もの言う牛」の民話があることから以前は牛だったのかもしれません。
祭祀の目的による区分
津堅島は半農半漁で生計を営んできたので、豊作と豊漁は同時に祈願されることが多いのですが、個別にカウントすると豊漁を祈願する機会のほうが上回りました。隣の久高島には季節漁に来ていた糸満漁民が定着したケースがみられますが、津堅島ではそれはなかったようです。また、直接・間接の祖先供養祭祀は、県内の他地域同様に、近代になって手厚くなってきている印象です。
ハラに注目した区分
津堅島は1島1字で、下位の地域区分に組(班)があります。しかし、琉球王国時代には津堅バラと神谷バラという区分もあり、祭祀の上ではこの地域区分は近年まで受け継がれてきました(いちおう行政区分としても「神谷村」は明治後半までありました)。各ハラには王府に任命されたヌルがいて、祭祀場も分かれていました。これは久高島と同じ構図です。ただし、家々は集約されていて、地理的に明確な境界はみられません。