Dear サラマンカ. 忘れかけた昔話をするために書く手紙|Travelogue
親愛なるミランダ家の皆様へ
こんにちは。みなさんお元気ですか?
私がサラマンカで過ごした日々から、ちょうど30年が経ちましたね。
あなたがたの家庭はとても温かかったです。
お父さん、お母さん、おばあちゃん、カミラ、そしてクリスティアン。
クリスティアンは当時、中学生でしたが、いまはどんな人生を歩んでいるのでしょうか?
サラマンカに住み続けているのでしょうか?
みなさんがどんなふうに過ごしているのかとても気になります。
おうちでの朝食はいつもシンプルだったけど、とてもおいしかったです。
甘党の私は、チュロスをホットチョコレートにつけて食べるのが楽しみでした。
夕食はなんていうか…質素でしたが、食卓を囲んでの会話が何よりのごちそうだった気がします。
いまでも同じような食事の習慣を続けていますか?
ホームステイ中、私以外にも他の留学生がいましたよね。
ロシアの高校生が二人いたことをおぼえています。
そのうちの一人はとても無口で、もう一人以外とはほとんど話さなかったように思います。
ロシアの富裕層の子だったんでしょうが、親に言われて渋々来たんでしょうか? それともスパイか何かの訓練のため?
クリスティアンも不思議がってましたね。
みなさんと一緒にUDサラマンカの試合を見に行ったことも印象深いです。
エスタディオ・エルマンティコで地元のソシオに混ざっての応援は、本当にエキサイティングでした。
若かりしリージョ監督が率いたチームは当時はセグンダ(2部)だったと記憶していますが、翌年はプリメーラ(1部)に上がったんですよね。
成績不振でいまは別のクラブになったと聞きました。
だけど、私はその試合がきっかけでリーガ・エスパニョーラに興味をもち、いまではゆるいマドリディスタです。
みなさんはいまでもスタジアムに足を運んだり、サッカーを観戦したりしていますか?
語学学校では、アナという女性教師のことが記憶に残っています。
彼女はとても陽気でエネルギッシュで、各国の文化を比較した恋バナをするのが大好きでした。
ある日「日本人男性は細い脚の女性が好きらしい」という話題を出して、自分は大根足だから日本には行きたくないと冗談を言ってました。
あのときは笑うべきか、まじめに説明すべきか迷いました。
あなたがたも夕食時にこの話を聞いて苦笑してましたね。
学校主催の遠足でアルバ・デ・トルメスに行ったこともいい思い出です。
石畳の街並みがすぐに私たちを非日常に引き込みました。
ガイド役の先生の熱が入りすぎて、いちいち説明が長く難しくなったので、私たち生徒は十分に理解できずに、途中で誰かが苦情を入れました。
ようやくゆっくり街歩きができてホッとした記憶があります。
この遠足はルーラルツーリズムの一環で、近くの村のワイナリーでワインを飲ませてもらったのですが、その味と付け合せの自家製オルナソの味はいまでも忘れられません。
「こういう瞬間を味わうためにもっと旅をしなきゃ」と考えたことを思い出しました。
プラサ・マヨールのライトアップされた様子だとか、壮麗なサラマンカ大学の中世の雰囲気だとか、断片的におぼえていることはあっても、細かいことは忘れてしまいました。
でも、あなたがたのホスピタリティは私の心に深く刻まれています。
いつかまたサラマンカを訪れてみなさんと再会し、懐かしい思い出を一緒に語り合えたらと思っています。(カミーノを歩くときかな?)
心からの感謝とともに