無銭飲食と無錫旅情は似て非なり|Report
沖縄そばがまだ希少な外食機会だったころ、無銭飲食もときどき横行していました。その様子を当時の新聞記事から知ることができます。
無銭飲食や食い逃げは、貧困や経済的苦境にある人が代金を払うことができずに行われるのがふつうです。窃盗罪または詐欺罪にあたるようです。そのほかにも、無銭で飲食することを挑戦や冒険ととらえ、刺激を求めてやっちまう輩もいます。『ワンピース』のモンキー・D・ルフィはこのタイプですね。映画や小説では経済的な不平等に抗議する行為として描かれることがあります。また、最近の邦画では認知症の描写に無銭飲食が使われたりします。光石研主演の『逃げきれた夢』などが思い浮かびますね。
ケース1
現代語要約
島袋全助という男は珍しいほどの沖縄そば好きで、わざわざ本部村谷茶から訪れては沖縄そばを買い食いすることが唯一の楽しみだった。今では一文無しになったにもかかわらず、懲りずに一昨夜も石門森そば屋にてそばを注文し、十分に食べた挙句、給仕の隙を見て逃げ出してしまった。しかし主人によって泥棒として捕まり、警察に引き渡された。最終的には示談が成立し、釈放された。
ケース2
現代語要約
崎山松(30歳)という男が、昨日の午前0時頃にホロ酔いで久茂地の新城ウシ(49歳)の沖縄そば屋に行き、4杯をペロリと平らげて、お代りを早くと急かす様子。そば屋の家族らはひとまず、4杯の代金20銭を請求するが、崎山は頭を横に振り、夜が明けるまで貸してくれと言った。しかし、そば屋はその要求に応じず厳しく請求した。崎山は甚だ図々しい奴と見え、「俺の着物を担保にもう1杯くれ」と言い張った。家族が応じないため、崎山は怒り出し、器物破損しようとするところを駐在所の巡査に押さえられ、警察署まで連行された。
ケース3
現代語要約
具志幸完(35歳)は字西の比嘉樽方で沖縄そば2杯を頼み、代金を払わずに逃げようとしたところを捕らえられ警察へ突き出された。
これらの事件で考えられる背景として、貨幣経済が十分に浸透する前に行われていた売掛(つけ払い)があります。以前から商家や飲食店が掛け取引を行い、これがトラブルの原因となることがありました。現代のような厳密な計算と決済の仕組みが整っていなかったため、「やった」「やってない」の食い違いがしばしば生じたようです。ケース3は被害者・加害者とも同じ界隈の顔見知りだったとも考えられ、売掛トラブルの可能性が高いのではないでしょうか。
ケース1はそば好きによる犯行で、そば屋の件数自体がそう多くなかった当時ですから、森そば屋にも何度も足を運んでいたと考えられます。それゆえの示談だと推測します。この記事からは、明治末期ですでに示談という揉め事解決方法が浸透していたことを学びました。ただ、そばを食べるために今の本部町から那覇に通うなんてことは、モビリティの手段が限られていた当時はそうそうできなかったと思いますがね。
フードファイターばりの胃袋強度を誇るのがケース2の実行犯です。「大食い遺伝子」の存在が確認されているわけではありませんが、生まれつき大食いの人はおそらく昔もいたはずです。食物浪費の文化はさまざまな国や時代に存在し、祝宴や儀式、宴会の一環として大量の食べ物を摂ることが行われていました。例えば北米のポトラッチという招待・贈り物の慣行だったり、中国南部から南アジアあたりの勲功祭宴という盛大なパーティの習俗だったりが該当します。現代でもフードファイターの来店に怯える店主はいますが、当時のウシンマーそば屋も災難でしたね。