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旧聞#11 チノ? ハポネス!|Essay

退屈なこの国にバングラデシュからエアメールが届いた。南アジアの習慣では、トイレでは紙を使わずに水と手で洗い流すが、このことがベンガル人のアイデンティティを隔てているのだいう。使われる桶が地域によって違っていて、それぞれのよしあしの議論がしばしば出自論や地域主義へと、つまりシモの話から形而上の話題へと発展するのだそうだ。

こうした帰属心の主張は日本人にはなじみが薄い。単一民族という虚構によって、日本は内なる他者を識別できない。そればかりか、自分が日本人であるという感覚さえにぶっている。だが、外に出ると事情は一変し、日本人であることをなにかと意識させられる。

例えば、ラテンアメリカにいるとよく「チノ!」と呼びかけられる。ただ呼ばれるだけならいいが、からかいや軽蔑の意味を含んでいたりするからやっかいだ。チノとは正しくは「中国人」だが、彼・彼女らは漢民族も日本民族も区別できないため、この言葉は「東洋人」ととらえるのが正解なのだろう。けれど、バカにされてると感じたときは、僕らは「チノじゃない、ハポネス(日本人)だ!」と言い返した。こう言うことが逆説的に華僑への差別に加担するのだという生真面目な意見も仲間内にはあったりして、それはそれで考えさせられた。ともかく、僕らは日本人であることを自ら宣言する環境に生きていた。

ところで、僕のことをクンタキンテと呼ぶ幼い兄妹がホンジュラスにいた。黒人奴隷制をとりあげた小説『ルーツ』の主人公の名前がこれで、その昔、日本でもテレビ放送された。

印象に残っているシーンがある。英語名を強制する白人奴隷主が「おまえの名は?」とムチ打つのだが、痛みにめげずに主人公が「クンタ…キンテ…」とアフリカ名を答え続ける場面だ。その状況がなんだか「ハポネス」にこだわる自分に似ている気がして、ある日、これからは僕をこう呼んでくれとお願いしたのだった。おかげで別れのその瞬間までも「クンタキンテ!」と叫んでいて、笑いあり涙ありのひとコマだった。

今、しっかりとしたわれわれ意識をもつ沖縄にいて、ニホンジンとは少し違う自分の属性を与えられている。はたして僕は「ヤマトンチュじゃない…」に続く言葉をみつけることができるだろうか。

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