つば広の帽子を被り、布を織り、リュウゼツランの酒を飲む|Travelogue
まずはグルーポ・ニーチェのこの曲を聞いてみて。
一聴しただけでわかるキャッチーなメロディ、それでいてゴージャス感のある音を塗り重ねたスグレモノでしょ? ”Qué tienes México”ではじまるサビでのハビエル・バスケスの声の張り方は、テノールの透明感やみずみずしさを感じさせてくれる。きっと往年のランチェーラ歌手を意識してるはずさ。
これはニーチェのメキシコツアーのためにつくられた曲で、2:06あたりからメキシコの州名とか地名とかを連呼していく。メキシコ人としてはめっちゃ盛り上がる箇所だろうけど、ひねたコロンビア人からは「媚び売ってる」ととらえられたらしいよ(気持ちはわからなくもない)。
この曲になぞらえると、ボクが行ったことあるのは、グアナファト州、ミチョアカン州、オアハカ州、チアパス州、キンタナ・ロー州、ユカタン州、南北バハ・カリフォルニア州、それからこないだのD.F.ということになる。このうちまだnoteに書いていない最初の4州について、フラッシュバック旅日記を綴ろう。
グアナファト(Guanajuato)
グアナファト州の州都で、こじんまりと美しい。当時からそうだったが、今でもたぶん旅行誌とかには「カラフルな街並み」なんて修辞が踊っているんだろうな。そう、グアナファトの最大の魅力は、色とりどりの建物が斜面に広がる風景なのだ。その色もパステルカラーだからくどくなくて、まるで絵本の世界にいるようだ。
当然ながらピピラの丘に行った。かつて洪水を防ぐために張り巡らされたという地下トンネル(車道として利用)を抜けて、つづら折りの道をバスで登ると、街全体を一望できるフォトスポットが現れる。
グアナファト大聖堂やファレス劇場などマストな歴史的建造物はおさえたと思うが、まったく記憶にない。それよりも夜道で通りがかったキスの小道ではない道で、若い男が伝統に則って旧愛の歌セレナータを歌っていたのが印象的だった。友達らしきギタリストの伴奏に肉声をのせていたのだが、あれはリアルガチな告白だったと思う。
イダルゴ市場は新鮮な食材や手工芸品を売る屋内市場で、その規模が歩き疲れた足にはちょうどよかった。死者の日(Día de Difuntos)が近く、関連する飾りやアクセサリーなどが売られ、市場自体もマリーゴールドの花でデコレーションされていた。スカルはこわいというよりユニークだったけどね。
パツクアロ(Pátzcuaro)
ミチョアカン州では州都モレリアに一泊してパツクアロ湖に向かった。この湖は、先住のピュレペチャ族から神聖視されており、伝統的な漁法を行う人々が見たいなと思って訪れたんだ。
漁師たちは湖に浮かぶ島に行くときに目にした。連絡船がわざわざ近くを通ってくれたんだが、いま考えるとあれは観光用に仕込まれていた漁だったのかも… 大きな虫取り網のような魚網に、魚の姿はなかったように見えた。
たぶん街から一番近いハニッツィオ島に滞在したのだと思う。ごちゃごちゃと家屋が立ち並ぶ風景はそれなりに情緒があった。島の頂上からの眺めの記憶はない。ということは別の島だったのかもしれない。
ただ魚料理を食べたことはおぼえている。チャラレスという小魚のフライにビールというランチだった。湖を横切る風が気持ちいい午後だった。
パツクアロの記憶はほんと海馬からひねり出した感じだな。
オアハカ(Oaxaca de Juárez)
オアハカ州は広い。結局行けたのは州都と近くの遺跡(ミトラとモンテアルバン)くらい。ほんとは太平洋岸のプエルト・エスコンディードあたりのサーファーの町でゆっくりしたかったなあ。
ここでは財布をスられた。遺跡に向かうバスの、混雑していた乗車時の出来事だったと思う。いつかはくる旅の洗礼で、予備の紙幣を隠し持っていたので遺跡見学はできた。勉強になったよ。
メスカルという蒸留酒の工場を訪ね、さまざまな種類のメスカルを試飲するツアーに参加した。テキーラと同じリュウゼツラン(マゲイ)を原料とするメスカルのことを、そのときまで虫や唐辛子などをボトルに漬け込んだ酒としてしか認識していなかった。実際には52種類のリュウゼツランの味の違いを楽しむものらしい。
一人旅の寂しさが募っていた頃だったから、大聖堂前のソカロ広場で出会った3人の女性との語らいがいいアクセントになった。ミゲル・イダルゴ通りのナイトマーケットから食料と酒を調達し、旅のこと、ふだんの仕事のこと、この街のゲラゲッツァ祭りのことを話し合ったのさ。通りからは威勢のいい音楽がずっと流れていて、なんだかはなやいだ夜だった。
サン・クリストバル・デ・ラス・カサス(San Cristóbal de las Casas)
インディヘナ人口の多いチアパス州の中心都市で、標高2100mに位置するため涼しい。オアハカから来ると、夜は寒いくらいだった。そのせいもあってタコスがとてもおいしく感じられた。熱々のタマルもうまかった。
この街ではとにかく歩いた。植民地時代に建てられた街並みを3周するくらいは歩いた。これまでの全ての旅の中で一番長く歩いた一日がここにある(トレッキングは除く)。石畳だったからマメができて足が痛くなった。
歩いている途中で、浅黒で黒髪のまさにモレーナという感じの高校生と出会った。5分くらい立ち話をした。「街歩きの途中で立ち話をした美女ランキング」なるものがあれば、エントリーして上位入賞をはたす自信がある。
市場にはいろんな先住民族が集まるため、民族衣装の色彩が目に氾濫してめまいがしそうになる。幾何学的な刺繍が施された手織りの布やミサンガ、伝統工芸の焼物や装飾品、地元産のコーヒー豆などが売られていた。
翌日、これらマヤ語系先住民の村を訪ねた。そのときのエッセイは以下の記事からどうぞ。
村の教会では、カトリックと先住民の信仰が融合した独特なミサが行われていた。松の香をブランコみたいに往復させていて、煙と香りが真っ暗な部屋中に充満していた。それを見てたいそう厳かな気持ちになったことを、なぜだか鮮明におぼえている。
Como el sombrero, el sarape y el maguey…