古謡から読み解く家造りの情景#4 八重山_後編|Studies
ユイピトゥガナシ=家の神
家の新築落成の時の願い言葉(石垣島川平村)
このニガイフチには「ユイピトゥ」という語が出てきます。ユイピトゥは「寄人」ととらえることもできますが、「結人」つまりユイを行う人のことで、家造りを手伝う人を指すとされています。
しかし、ここにあるように「ユイピトゥヌメー」や「ユイピトゥガナシ」と敬称されると、神になります。すなわち家の神ということです。
前回もご登場いただいた赤嶺政信教授によれば、「家造りの手伝いをすると観念されているユイピトゥガナシと呼ばれるある種の存在が、家屋建築の過程(柱立てや落成式)で家に招かれ、それが家の神となっていく」そうです(注1)。
そのユイピトゥヌメーをここでは「解き放つ」と謡われます。だから元々いた山や野原にお帰り下さいというのです。沖縄本島の神歌でみたような、山の精霊を恐れる構図がやはり八重山でも見出せます。少し違うのは、この家の神が「家をまもる存在」と「おそれられる存在」の両面性を持っているだろう点です。
家の霊的メンテナンス
最後に、建築儀礼からはそれますが、西表島で節祭のときに行われていた行事を紹介します。
家浄めの祝詞(西表島祖納村)
昔の沖縄では、正月や節祭など節目節目に家を清める行事を行いました。西表島の場合は「海岸から七菜の花(白砂、小砂利)を運んで来て、庭や門口に撒く」ものだったようです。同様の事例を奄美の喜界島で見たことがあります。
つまり、家や屋敷は神に祈り定期的に清められなければ、悪い霊や不浄に犯されやすいものだったといえるでしょう。言い換えれば、それだけ自然や霊的存在を身近に感じ、ときに庇護されときに祟られるというような緊張関係を保っていたということです。だからこそ、住まいを大事にし、屋敷の神や家の神、祖霊に対する敬意を忘れない沖縄独特の住居観が生まれたのです。
いま私たちはそうした深いつながりを失いつつあるようです。古民家を残すことは、単に建物を残すだけでなく、祖先たちが育んできた自然への畏れと共感を再学習する機会をつなぎとめることでもあるのではないでしょうか。
<注釈>
赤嶺政信「建築儀礼にみる人間と自然の交渉-沖縄・八重山諸島の事例から-」(松井健編『自然観の人類学』第12章、2000年、榕樹書林)。
<家造りシリーズ終わり>