アルゼンチンの中の沖縄 〜空手がつないだ仁の心〜|Report
空手記事の訂正
まず以前の沖縄空手に関する記事を訂正及び再考します。
◆ハワイで最初に開かれた空手演武
海外での最初のオフィシャルな空手演武は、1927年(昭和2年)7月8日、ハワイのホノルル市で屋部憲通が出演した公演会だと書きました。 これが間違いでした。
先日、沖縄空手会館の資料館を訪ねた際に、邦字新聞の記事(1909年4月5日付『日布時事』)がパネルで紹介されていました。それによると、沖縄出身の漢那憲和海軍大尉(当時)がハワイを訪れた際に、沖縄移民たちが開いた歓迎会において空手(記事では唐手や唐手踊と表記)が披露されたということです。4日にホノルル市内の2ヵ所で演武が行われたようです。これは県人たちが集まる場なので内向きではありますが、現在確認できるなかでは最古の演武会といえます。
◆祖堅方範の空手演武はあった!
2015年に実施したアルゼンチン調査では、祖堅方範の空手活動についてほとんど情報が得られなかったのですが、沖縄空手会館のパネル展では、祖堅が1928年11月、昭和天皇の即位を祝う日系人の集まりで演武したことがレポートされています。
「饗応と共に祖堅方範氏の唐手を見る。同氏は在亜沖縄県出身中、随一の名手なりと。宜なる哉、眼の配り、体の構え寸毫の隙なく利鎌の空に舞ふや陽炎に似て観衆ひとしく掌に汗を握る。げに当日随一とこそ称されけり。」と絶賛されています。
息子の嫁や孫はこれを知らなかったことから、移民後しばらくは空手活動を行っていたが、のちに休止したということもありえそうです。
◆沖縄各地への空手伝播の道筋
また、「明治中期までに沖縄各地に空手を広めたのは誰なのか」という記事で、空手普及の3つの可能性について推測しました。これは、空手が発祥した首里・那覇以外に空手家がいたことが、地方出身の海外移民の演武記録や略歴などから読み取れたのですが、このことと1905年頃の学校での空手教育の開始とは時間の齟齬がみられたためでした。
海外に移民した人のなかに空手家がいたことだけに焦点を絞れば、もうひとつの可能性があります。それは沖縄県内ではなく、渡航中の船内で空手を教わったというものです。当時は数ヵ月も船旅をするわけですから、空手ができる人から習う時間は十分にあったはずです。現に上記のパネル展示では、1931年の移民船上で「ナイフアンチ」が余興として披露されたと紹介されていました(『リマ日報』より)。1908年の5月と11月にも演武が確認できたそうです。
安里亀栄に関する訂正もあるのですが、これは改めて長文で報告します。
戦前に移民した空手師範 比嘉仁達
比嘉仁達は1912年(明治45年)の那覇生まれです。当初学んだのは剛柔流でしたが、のちに真栄田義任、長嶺将真らに師事し、松林流に流派を変えます。さらに兄の比嘉佑直らとの交流から、小林流の所属となります。
1938年にアルゼンチンへ移住しました。1940年に初めてブエノスアイレス郊外のブルサコの映画館で演武を行い、日系人の子どもたちを対象に空手指導することを始めます。教え子は次第に増えて、現在ではアルゼンチン全土や他の南米諸国にも広がっています。
長男・長女は亡くなっており、次男オスカルはイタリア在住(小林流究道館比嘉手イタリア道場師範)、次女は病気療養中という事情があり、面会することはできませんでした。オスカルの息子のディエゴが跡を継いでいます。
戦後に移民した空手師範たち
空手師範ではありませんが、1952年に伊良波幸一(今帰仁村出身)、名護朝幸(具志川村出身)が、1953年に比嘉進(中城村出身)がブエノスアイレスに移住しています。『在アルゼンチン日系人録』(1968年)によると、この人たちは趣味を空手としています。
宮里昌栄(小林流)は宮平勝哉の弟子で、1959年にコルドバに移住し、空手指導を始めました。国内に約60道場を持ち、海外ではボリビア、ブラジルなど9カ国で支部を抱えています。現在は息子の昌利が志道館・宮里道場を継いでいます。
仲里茂雄(古武道)は1965年にブエノスアイレスに移住し、空手道場を開きました。
赤嶺茂秀(松林流)は那覇市久米出身で、14歳で長嶺将真道場に入り、1972年にアルゼンチンに渡ってブエノスアイレスに空手道場を設立しました。現在はアルゼンチンに25支部、ウルグアイ7支部、ブラジル1支部、チリ1支部と計34の支部道場を開設していて、門弟は約1300人を数えています。
宮城郁(昭平流)は移住した年代は不明ですが、当地での空手指導はすでに40年を迎えています。ブエノスアイレスに宮城道場を持ち、国内の他州にも支部があります。
1970年から80年にかけては、宮里昌栄(松林流)、内間清文(剛柔流)、宮城郁(昭平流)、仲里茂雄(古武道)、赤嶺茂秀(松林流)、当真嗣夫(松林流)ら戦後移民の空手家に加え、戦前の比嘉仁達(小林流)もまだ健在で、錚々たる顔ぶれがそろっていました。これだけの沖縄空手の実力者が同時期に活動していた外国はあまりないと思われます。また、遠山寛賢の弟子である土谷秀男(静岡県出身)が1960年代にブエノスアイレスで空手を教えており、安里亀栄と同時期に移民した知念善一と親交を結んでいたことがわかりました。
アルゼンチンではサッカーを中心とした地域スポーツクラブが運営されています。ここでは弱い者の護身術として空手が注目され、クラブ内に道場を持つ例があり、安里亀永や比嘉オスカル、仲里茂雄などがこうしたクラブで空手を教えていました。
(以上、敬称略でした。)
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