『海に眠るダイヤモンド』第2話で描かれる青春群像|スクエアダンスが象徴する複雑な恋の形
現代パート、いづみが玲央の家で漫画を手に取りながら「三角関係」についてさりげなく語るシーンから始まる。このシーンは、1話から垣間見えていた端島での物語が、現代の鉄平に初めて語られる重要な転換点となっている。
「複雑なのよ、私も」
百合子のこの一言が、端島(軍艦島)で交錯する若者たちの想いを見事に言い表している。朝子の鉄平への想い、鉄平のリナへの思慕、そして賢将の朝子への秘めた恋心。この複雑に絡み合う関係性を、四組のペアが入れ替わりながら踊る「スクエアダンス」に重ね合わせて表現する手法は斬新だ。百合子が長崎から端島に持ち込んだこのダンスを通じ、当時の島民が娯楽をどう楽しんでいたかも伺える。いづみが「あれは何角関係だろう」と振り返るように。
水不足が象徴する端島の苦悩
本エピソードのもう一つの主役は「水」だ。島での生活に欠かせない真水は、船で運ばれてくる貴重な資源だった。配給時の活気ある風景の裏で、台風による水不足の危機という島の脆弱性も浮き彫りになる。海底水道プロジェクトに込められた希望と不安を、賢将の父・辰雄の複雑な表情が物語っていた。
特に印象的だったのは、台風シーン。宿舎の浸水や食堂の危機など、島の過酷な現実が生々しく描かれる。
そして、進平とリナが波しぶきを浴びながら見つめ合うシーン。そこに映画館館長の大森が加わる展開は、緊張感とユーモアが絶妙なバランスで融合した、本作の真骨頂とも言えるシーンだった。
また、片桐はいり演じる「大森」は、片桐はいりが大森出身であること、地元の映画館「キネカ大森」で働いていたことから来ているのかもしれない。そんなところまで手が届いているところも見事だ。
「死んだ人間は思ってもらえる。キレイなまま」
台風の夜、百合子が鉄平に漏らしたこの言葉には、彼女の深い心の傷が隠されていた。
原爆で姉を失って以来、母の眼差しは常に神へと向けられ、百合子の存在は置き去りにされていた。どれほど祈りを捧げても応えない神様に、母は縋り続ける。停電や断水の非常事態でさえ、母の信仰心は揺るがない。追い詰められた百合子は、ついに母の心の支えである聖像や十字架を投げ捨ててしまうのだ。
"死後もなお母に愛され続ける姉"への羨望を抱えながら、自身を「やさぐれた娘」と形容する百合子。そんな彼女に向けられた鉄平の純粋な想い。実は百合子はその気持ちに気付いていながら、あえて応えることはしなかった。
「私のことを好きな人となんて、いい加減な気持ちで付き合えないもの」 この言葉には、表面的な反抗児を演じながらも、誠実さを失わない百合子の真摯な人間性が表れている。誰かに想われることを切望しながらも、安易な感情で人を傷つけることを選ばない。そんな彼女の繊細な心の機微が、この夜の告白には込められていたのだ。
視聴者の心を掴んだ、賢将のさりげない愛の告白
2話の見どころの1つが、賢将のさりげない告白シーン。朝子に「コッペパン好きだもんね」と話しかけられた賢将は、そのタイミングを逃さず「好きだ」と伝える。もちろん、朝子は自分に向けられた「好きだ」とは気づかない。
賢将の真意は朝子への愛情告白だったが、彼なりの精一杯の言葉だったのだろう。それ以降、賢将が朝子へ想いを伝えることはなかった。だからこそ、この一瞬の告白シーンは、視聴者の胸を打つ印象的な場面となったのだ。