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ブルームーン


数本電車を見送っても彼はまだ現れない。

スマホで時刻を確認すると19時30分と表示していた。

今朝、文化祭の準備をするので遅くなると母には伝えた。でも、これ以上遅くなると流石にヤバイ。

だるまのような父の顔も頭ををよぎる。

制服の上から買ったばかりのブラウンのニットセーターを着ていても、身体が少しずつ冷えてきた。

この駅は私の高校から3駅先で、家がある最寄り駅からは逆方向の場所にある。

辺は静かで高い建物など、ここからでは見当たらない。ホームからは今の時刻ではもう真っ暗になった山々が、恐怖の塊のようにそびえ立って見えた。

駅の裏はススキが生えいて、それらが秋風で揺れるたびに虫の音をホームに流してくれる。

その音色が少しだけ心を落ち着かせた。

登校時にしか電車で見かけない彼は、この駅から徒歩で数分先にある男子高校生。

名前はまだ知らない。

彼はいつも大きいスポーツバックを抱えて通学している。下校の時間帯には会わないので、部活でいつも帰るのが遅くなっていると、私は勝手に予想している。

40分くらい待っているだろうか。文庫本を開くも内容が入ってこなくてすぐに閉じた。それからはスマホを見たり、ホームを歩きながら景色を眺めたりして過ごしていた。


虫の音が少し遠くなる。

男子のたちの声が徐々に近づいてきた。

改札から入ってきた10人ほどの男子の集団の中に彼がいた。

少しクセのある髪をジェルか何かで固めて、セットしてるところに清潔感を感じる。

180センチくらいの身長、大きい目、それらが彼をいっそう華やかにさせていた。

そんな魅力的な部分を見つけるたび、私との距離を感じてしまう。

身体は冷えているのに手に汗をかいているのがわかった。お気に入りのハンカチで拭き取る。

そして、文化祭のチケットとメッセージカードが入った封筒をカバンから取り出し、ベンチから立ち上がった。

だが、以前彼との距離は20メートルほど離れたまま近づけない。

緊張とともに小さな暗雲が、だんだん大きくなり私の身体の中を覆いつくしていく。

胸の底に閉じ込めたはずの中学生の記憶が、度々黒い姿をして現れる。

その記憶は、ちょっとしたクラスで発言する時や試験前など、緊張する場面で必ず現れる。そして絡みつくように行動、思考をいつも鈍らせた。

最後通告のような電車到着のアナウンス音がホームに響き渡る。

今朝、私の重めな黒色のロングの髪を結ってくれた姉のことを思い出すことにする。

玄関先でバンッと私の背中を叩き「おもいきって行ってきな」の言葉が、この場所まで足を進める原動力となった。

私と男子の集団以外に数人しかいない人影に隠れながら近づいていく。

足音をたてないよう慎重に歩いた。

3メートルほど近づいた時に彼が電車に乗り込む。

そして、こっちに振り向いた。

ビクッと身体が痺れたと同時に私は踵を返し、早足でホームの隅に向かう。

ホームの端に着くと身体を小さくさせ、スマホの画面に目を向ける。

電車が駅から早く離れてくれるのをひたすら祈った。

扉がプシューッと閉まり、やがて電車はカタコト、カタコトと離れていく。

それらの音が私をほっとする気持ちにさせた。

スマホで姉にメッセージを送る。

「ダメだった。渡せなかった。声もかけれなかった」

返事がすぐに帰ってくる。

「よくあるそんな事。初めからそんなうまくいかないって。恋愛なめんなよ(笑)まぁ今日は気をつけて帰っといで」

文章の最後に付いている、いつもの笑顔マークを見た時、スマホの画面にいくつかの涙が落ちた。


中学生の時、学校の休憩時間が1人ぼっちで辛いと姉に相談したことがあった。

「アホな奴らと仲良くする必要ないよ。自分の机で本でも読めばいいじゃん。陰口言われても無視すりゃいいし。暴力振るわれたら私乗り込むし。別に学校行かなくても勉強できるしね」

両手を腰に当て、仁王立ちで言った姉の言葉で、鉛のような私の心がスッと軽くなった。

小さいと思っていた世界が、実はすごく広くて自由だということをその時知った。

結局、中学時代は孤独ではあったが、姉が乗り込んで来ることもなく無事に卒業することができた。

高校に入学し、ありったけの勇気を振り絞って入部した図書部で、あっさり気の合う友達ができた。クラスにも話せる子ができ、今は安心した日々を送っている。

姉がいてくれて本当によかった。


時刻表を確認すると、次の電車はちょうど20時着だった。

ホームに設置している自動販売機で、温かいミルクカフェオレを買いベンチに座る。

静かなホームにまた虫の音が響き渡る。

カフェオレを一口飲み空を見上げると、満月が光輝いていた。

そういえば、朝のテレビ番組で今日の月はブルームーンだと言っていたっけ。

夜空を柔らかな光で照らす月をぼんやり見つめる。

私の全部がゆっくり解けていく感じがして、なんだか心地いい。

思わずカフェオレの缶を夜空にかかげ、めったに出会うことのできない満月と乾杯した。













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