学歴なんて関係ない、って東大出てから言ってみたい
ちょうど2か月でインスタサブ垢のフォロワー500人突破した記念記事。タイトルはメタファーとして借りてきた予備校のコピーで、私が書きたいのは「フォロワー集めする意義」からの「フォロワー数なんて写真の実力と関係ない!?」というテーマについて。
仮想の反対意見に自己弁護する
文章術「仮想の反対意見を想定して自己弁護してみる」を実践すると、「オマエはいったい誰と闘っているんだ?」と心配いただきますが、わたしは元気です。
今回は「最近インスタでフォロワー集めやっている」に対して、「そんなことしても虚しいんじゃないか?」への反論を試みる。言い換えると「わざわざフォロワー集めをする意義」の話をする。校長先生のお話みたく3点にまとめると以下の通り。
1. イザという時の選択肢を広げるため
2. 経験から学ぶこと自体が楽しいから
3. フォロワー数と写真の腕の関係を解き明かすため
1. イザという時の選択肢を広げるため
まず「1.」は功利的な側面から。生業として何かを売り込む訳ではないので、私にはフォロワー集めする大義名分は無い。別の記事で書いた「役に立つ」の捉え方の話みたく、明確な目的は想定せず器用仕事の材料として試している。
拡散したい誰かを助けてあげられるかもしれないし、運用ノウハウを伝授できるかもしれないし、ちょっとした実験をするのに1万フォロワー垢が役立つかもしれない。
どれも現時点では具体的に期待していないけれど、持たざる者は発想自体を枝刈りして制限をかけてしまうので、思考の幅を広げる意味で持つ人になりたい。
2. 経験から学ぶこと自体が楽しいから
別の角度から「手段自体が目的」という動機もあり、私にとっては「学ぶこと」の位置付けに近い。知らなかった世界に触れて見え方が変わるならば、そこに「学び」があって、それ自体が楽しい。実際にフォロー集めを始めてから景色が変わった。
1万フォロワー達成の暁に「虚しかったわ」と言ってる可能性もある。それでも、自分自身で経験して言うと重みがある。景色が綺麗であることを知識として知っていても、旅行に行きたくなるような話。
世界の見え方が変わると、自分が囚われていたことに気付き、一段高い視点から次のやりたい事が見つかる。脱線ながら、子供に「夢を持て」と言うのは、限られた情報だけで判断を迫り過ぎではないか?とも思う。だからコロコロ変わっても攻めないし、それは成長だと思う。
3. フォロワー数と写真の腕の関係を解き明かすため
3つ並べた中で、これが自分の欲求に近いかもしれない。「インスタ運用テクニックなんてクソくらえだ!」「フォロワー数なんて写真の力と関係ないぜ!」...そう言ったところで負け惜しみにしかならないので、身を持って示すしかない。
学歴なんて関係ない、って東大出てから言ってみたい
一昔前の予備校のコピーライトながら、いま見ても秀逸だと思う。インサイトを捉えつつ、負け惜しみの退路を断つエグさがある。私がフォロワー数に対して抱いている心情についても、近いものがある。
科学的な視点でも示唆があり、本来は「東大出て勝ち組」「東大出ず勝ち組」「東大出て負け組」「東大出ず負け組」の4象限の比較で捉えるべきところ、一側面だけで判断してしまう過ちを犯しやすい。
※「勝ち組」という表現が時代錯誤だけど、この場では「便宜的に」ということで堪忍やで。
手に入らない負け惜しみとして「酸っぱい葡萄だ!」と言いたいのに、本当に酸っぱいことを示すには手に入れて検証しなければならないパラドックスがある。
「フォロワー数と写真の腕は関係がある」仮説を棄却するためにも、本垢で「そこそこの写真でフォロワー少ない」状態を保ちつつ、サブ垢で「そこそこの写真でフォロワー多い」を目指す対照実験を試みている。定量的にはn=1で意味を持たないため、定性的な肌感覚や心情変化を定性的に綴っている。
イケメンの方がモテやすいくらいの感覚
実際のところどうなの?という途中経過の肌感覚として、「イケメンの方がモテやすい」くらいには「写真が上手い方がフォロワー集めやすい」ことを感じる。
絶世のイケメンだと、そこに立っているだけで人を寄せ付けるけれど、そこそこのイケメンだと自分からアクションをかける方が手っ取り早いし、ある程度は行動でカバーできる。それでもイケメンの方がアクションに対する効果が得られやすい。それくらいの感覚。
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