タツローという楽園
仕事の合間に確認したスマホに、M君から1件のメッセージ。
内容はいつも通り音楽のURLで、クリックすると山下達郎のPaperDollが流れた。
またか、と思う。
ここ何年か私の周りの人間が多く山下達郎に行きつき、そのよさを共有しようとしてくる。
近年のシティーポップブームのせいというわけでもなく、その少し前あたりからじわじわと山下達郎が姿を現し、今じゃ私の周りどころかyoutubeでオシャレな若者たちが一斉に山下達郎をカバーしたりオマージュなどしている。
山下達郎はいい。
そのことは認めるし、私も好きだ。
だけどあんなにもブラックミュージックを愛したM君や、音楽とはジャスだと言ってレコード屋ばかり巡っていたJちゃん、ハウスのDJをしていていつも大量のレコードを引きずって歩いていたO君、ついには私の姉までもが口を揃えて「山下達郎っていいよ」と山下達郎のよさを語ってくる。
そのタイミングが重なりすぎて、私からすればまた山下達郎の話かと少しうんざりする。
中には親愛の現れか、山下達郎のことをタツローと呼ぶ者までいる。
世界中でシティポップが流行っているのだ、きっと海外の人からはもっとタツローと呼ばれているのだろう。
世界中が一斉に山下達郎に行き着いた今、どこにだってタツローはいる。
あの角を曲がれば出くわすタツロー。
ポケットからタツロー。
向かいのホーム路地裏の窓こんなとこにいるはずのないタツロー。
その感じが私には何となく奇妙で、こうなってくると世界ってタツローが回してんじゃないのかなという風にも思えてくる。
それは大袈裟だけど、でもある種の漂流して辿り着く地点みたいなものにはなっていそうだ。
どこか懐かしくて切なくて、落ち着いたトーンでありながら身体が自然にノッてしまう山下達郎のサウンドに居心地の良さを感じて、皆漂流して流れ着いた島で「ここっていいよ最高の島だよ、だからジェーンもおいでよ」って砂浜でコロナビールでも飲みながら誘われているような気持ちになる。
彼らはチルいだとかエモいだとかいって幸せそうだ。
日に焼けた肌に馴染む、風通しのいいノースリーブでさよなら夏の日って口ずさんでる。
なのにその幸せな浮遊感の彼らに、自分はまだいいっすと染まりたくはない危機感めいたものを感じて、私はイヤホンから流れるプラスティックラブを聴く。
そういえば、プラスティックラブはタツローの嫁が歌ってた。
私は今日、何回彼の名を呟いたのだろう。
タツローまであと少しだ。