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止まらない母

もうすぐ今年が終わるって、誰か気付いてた?
私はたった今気が付いて呆然として、軽く一年を振り返ってみたけれど、先週の飲み会で若い頃ヤンチャしてたあいつが「女だと思って抱いたら男だった」という話の山場で「どうだったんだろうねぇ」なんて濁したりするから、まあまあ本気で詰めたのち、教えてよぉ!と泣き着いたことしか思い出せなかったよ。
最終的に仕方ないといった調子で「それでね、俺も驚いて」なんてぽつぽつ話し出した頃には、考えてみればそんなに知りたくもなかったよなと冷静になっていて「ふーん」の感想しか出てこなかったのは、誰が悪いって勿体ぶったあいつでしかない。
鮮度も一年も一瞬なんだよ。

そんなことから、一年の初めに自分は抱負など掲げていたのだろうか、少しでもそのように過ごしたのだろうかということが気になって、年末年始のnoteを2、3遡ってみたら特にそれらしいことは書いていなかった。韓国の針が入った美容液の話とかしている。さすが私。一貫して志が低い。
ちなみに今は馬油を塗っている。100%馬油のソンバーユ。ベーシックなものが一番ということを私はずっと知っているんだけど、大半忘れて過ごしていて、そのことを再確認するまでの抗ったり流れたりしている時間に私の人生が感じ詰まってる気がする。ベーシックに帰って来る時って割と疲れているとかフラットな時で、ブレずに生きたいなんて言っているのにブレブレな感じもそういうところに駄々洩れている。
でも私はそのことを間違っているとは思わない。

谷川俊太郎の「生きる」という詩の「生きているということ  それはミニスカート」の部分が大好きだということを、以前どこかで言ったことがある。
その詩の一節を紹介したい。

生きているということ
いま生きているということ
それはミニスカート
それはプラネタリウム
それはヨハン・シュトラウス
それはピカソ
それはアルプス
すべての美しいものに出会うということ
そして
かくされた悪を注意深くこばむこと

谷川俊太郎 「生きる」

美容液に無駄金を使って肌荒れを起こそうと、高級ディナーを食べた後に薄暗いキッチンで食べた納豆ごはんの美味しさに涙を流そうと、それはミニスカートだ(きっぱり)
まぁ、彷徨い、ブレながら生きてまいりますよ。
ちなみに谷川俊太郎の「生きる」は全文通して大好きです。

ブレている繋がりになるのだけど、過去のnoteを振り返ったことによって、言ってることとやってることが違うよね、と自分にツッコみを入れたくなったことがあった。
年末に書いた劇団ひとりの陰日向に咲くを紹介する文章で、私は「一所懸命な人を笑わないでほしい」と書いている。このことは普段から心に留めていることでもあるし、そんなことをする自分ではないと思いたいのだけど、実際、爆笑していた。


日々時間を持て余している母に趣味をと思い、自分がたまに訪れている陶芸教室に連れて行くと、何回か通ったのちに腱鞘炎が酷くなってしまった。
それならと思い、水彩画教室の体験を勧めてみると、これがハマったようで、母は毎日せっせと絵を描くようになった。
決して上手とは言えない、これでもかというほど塗り込んでしまう母の絵は、水彩画というよりはアクリルやクレヨンで書いた児童の絵という感じ。デッサンの基礎もないから全体的に構図が歪んでいることも子供の絵という印象を手伝っていた。
私や姉から「水彩画のいいところを台無しにしている」とか「それならいっそ油絵にしたらどうだ」とか「闇が深い」とか言いたい放題に言われても、図書館で借りてきた『水彩画入門』や『楽しいデッサン』などの本を10冊ほど渡しても開くこともなく、母はせっせと水彩絵具を重ねていた。
それが近所の人の紹介で絵のコミュニティに入ると、油絵を描く人たちに出会い、あっという間に油絵に寝返った。
今は「やっぱりママには油絵がぴったり」なんてはにかみながら、油絵具を重ねている。

継続は力なり。
その言葉の通り、母の絵は上達していった。
相変わらず歪んではいるのだけど、以前は十枚描いたら十枚あははと流してしまいたくなるような絵を描いていたのに、ここのところは十枚描いたら半分は悪くないじゃん、その中の一枚は上手だよと言えるものがある。母は専らバス旅行のチラシやテレビに映った風景をデジカメで納めたものを見本に描いているので、上高地からバリへ、京都から白川郷へ、物凄いスピードで旅をしているように描き上げてくる。次々と送られてくるLINEの画像に、姉も私も「もう少し一枚に時間をかけて」と言ったけれど、母はノンストップだ。

止まらない母にその時は訪れた。
どうやらコミュニティで開催している絵画展で母の絵を買いたいという人が現れたらしい。しかも安くはない値段で。
母から報告を受けた時、私は耳を疑ったし、何だったらその方の感性も疑った。芸術って何なんだろうと、爆笑のち考え込んだ。だけど思い起こしてみれば、陶芸の先生も母の作品を褒めていた。「お母さんの作品はいいんだよねぇ。ちゃちゃっと作るんだけど、妙な味があって、なかなかいないんだよこういう人は」と嬉しそうに目を細めていた。
畳の部屋でせっせと絵具を重ね、失敗作に埋もれて過ごしている母を思い出す。まだ上手に描けていない絵を上手に描けたと額に入れ、どんどん飾る母を思い出す。上手ではない、歪んだ絵を人にあげたんだと得意げな母を思い出す。
馬鹿は私だ。
ずっと努力していたじゃないか。とても上手になったじゃないか。そんな母の絵を買いたいと思う人が現れたなんて、こんなに嬉しいことはないではないか。

母にLINEを入れる。
「そんな値段で買ってくれるなんてすごいね。嬉しいね!」
母からすぐさま返信がくる。
「キャンバスと絵具を考えると、もう少し高くてもよかったかなって」

お前、止まんねーな。

しかし、私が失笑したり恥ずかしいと思っているうちに母は何歩前に進んだのだろう。これは母が自分を信じ、直向きに取り組んだ結果だ。


「一所懸命な人を笑わないでほしい」改め
「一所懸命な人を笑ってはならない」
私は胸に刻むべきだね。


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