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漂流

カウンターだけの古びた小料理屋。店内に貼られた「騒がないでください」「長居しないでください」という張り紙に、宮沢賢治の注文の多い料理店を思い出す。
年老いた女性が一人で切盛りしているその店は、客で埋まっているにも関わらず、張り紙の効果かしんと静まり返っていた。
注文をする時は小声で内緒話でもするかのように注文し、寡黙な店主は返事をする訳でもなく、ぶっきらぼうに頼まれたものをカウンターに出す。
別に出された料理が美味い訳でもないのに、おずおずと引き戸を開けた客が、満席を確認して残念そうに帰って行くことがたった20分のうちに二度もあった。

お手洗いの限界に、意を決して席を立つ。
店主に「すみません、お手洗いは」と確認するも、やはり小声になってしまう。店主は両手が塞がっているせいか顎先だけで奥を指す。口ってものがあるよと思いつつ、軽い会釈をして奥に進んだ。

ビールケースが積み上がり、暗くなったスペースに古びたベニヤの扉がある。何故か2009年3月のカレンダーがだらし無くぶら下がっていて、23日に赤い字で「マサヒロ!」と書いてある。
ネジの緩んだドアノブを捻り、扉を開くと(えっ?)と驚いた。トイレのスペースが店と同じくらいの広さで、真新しかったのだ。
中で男女の個室に分かれているようで、ステンレスの男女のトイレサインが付いている。
女子トイレの扉を開ける。中も広々として、モールテックスの洗面台に手洗い鉢がどんと置かれ、シックなモザイクタイルに掛かった大きなアンティークの鏡、トイレも価格が高いことが難点とされるTOTOのネオレストだ。
(どうなっちゃってるの?)
かつて、これほど狐につままれたような気持ちで用を足したことがあっただろうか。
落ち着かないまま用を済ませ、再びドアノブに手を掛けたが、どんな顔をして戻ればいいのか躊躇してしまう。
ちょっとした異空間に、(開けたらみんな消えているなんてことは無いよな?)なんて馬鹿げた考えが過ぎる。
ギィッという鈍い音を立て開いた隙間から、向こうを確認するように覗くと、カウンターの一番端の客が古びた店で静かに酒を飲んでいるのが見えた。
素早く席に着いた私は、一緒に来ている同僚にこのことを伝えたくてソワソワした。
チラッと店主を盗み見ると、店主もじっと此方を見ていて、そんな私を見透かすかのように片側の口角を上げた。何だそれ、意味がわからない。
えーと、これはあれか?皆トイレを目当てに来てるのか?いや、そんなはずは無いよな。しかしこの店がどうして混んでいるのか、全く理解出来ない。
お店の「売り」なんてそれぞれでいいとは思う。でも、もっと別の何かに拘ることが出来たような、にしても繁盛していることは正解なような、釈然としない気持ちで数千円を支払い店を出た。

「あの店どう思った?」店を出てすぐに同僚に確認する。
「あの静けさの中、カウンターの下で隣のオッサンが女性の脚を撫で回してて、それがずっと気持ち悪かった」
「ああ、それは気持ち悪いね」
トイレのことは何となく伝えるのをやめた。どうせもうこの店を訪れることはないだろう。

タクシーで帰るという同僚を見送り、駅へと向かう。
酔っ払いに「お姉ちゃんこの後どう?」と耳元で囁かれ、「昭和か」と返す。
こんな最低な酔っ払いを久しぶりに見たと思ったが、同僚の言ったカウンターのオッサンといい、意外とまだ生息しているのかもしれない。カレンダーの「マサヒロ!」だってきっとそんな年齢なのだろう。

雑居ビルの隙間で若い女が男を困らせている。立ち去ろうとする男に対して泣きながら喚き始めた。
いい加減にしてくれよという気持ちになったが、私は何に腹を立てているのだろう。あの店に?世間に?それとも自分に?わからない事が余計に苛立ってくる。
ただ、懐かしんでいた昭和にすら、もう居場所は無いらしい。いつの間にか沖にいるように、時代の波に流されている。
アジアの旅行者がコンビニの前で缶チューハイを撒いて騒ぎ、外国人の店員がそれを注意する。
首からLEDライトを掛けた犬がお婆さんの押すバギーに乗って近づいて来る。街はまるでパレードのようだ。犬が私を通り過ぎる瞬間、「いいでしょう」と勝ち誇った顔をする。自転車のカゴに乗った子供もよくこれをやる。正直、少しいいなと思う。
片側だけ口角の上がった店主の口元を思い出す。
信号の向こうで酔っ払いのギャルたちが、腹を抱えながら笑い「バカなんですけどー」と崩れていった。



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