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#37 ―うつ病みのうつ闇ー 死ななかったもう一つの理由…とうとうメンタルクリニックへ

母を看送ってから、うつの黒い霧に絡みつかれる日々だった。闇に引き込まれそうになり、生きるか死ぬかのラインを何とか踏みとどまり、長い闘いが収束に向かっているかに思えた。

私は死ななかった。理由はいくつかある。
今まで書いていないその一つは、自殺が未遂に終わった時、その後の時間をどう生きたらいいのか、わからなかった。

見栄っ張りなのか、無駄にプライドが高いのか。死に損なったら恥ずかしいという気持ちがとても強く、永遠に覚めないはずの目が覚めて、自分が死ねなかったと気づいた時を考えると心底ゾッとした。もしもその時、自分で生活することも、再び死のうとすることもできなくなっていたら、どうしようとも思った。

強く自殺未遂を恐れたのは、うつ病になり希死念慮に取り憑かれた若者から、自殺未遂した話を聞いたことがあったからだ。数十年前のことなのに、強烈な印象が残っていた。

アパートの自室で自殺を図ったが、あんなに死にたかったはずなのに、いざ死のうとすると強烈な死の苦しみや恐怖に襲われ、鍵をかけていたはずのドアの外に無意識のうちに飛び出していたと。

あまりにリアルなその話は、人間の生きることに対する執着は、本人でさえはるかに想像を超えた強いものがある。と思い知らされ、うつを知らなかった当時の私も大きな衝撃を受けた。

確実に死ねるという確信がなければ、あの若者のように失敗するのではないかという不安がよぎり、それが自殺を実行するのを躊躇させる要因の一つとなった。

いや、そんなのは口実で、死にたくなかっただけなのかもしれない。このままでは終わりたくない、ほんの少しでも誰のものでもない自分の意志を生きたい、あきらめきれないという消せない思いがあったのかもしれない。
 
希死念慮はだいぶ薄れたが、その後も気力が出ず、疲れやすく、鬱々とする日も多かった。無理して働いても具合が悪くなって続かず、希死念慮以外のうつの症状がどんどん強くなっていった。

好きな読書も料理もできなくなり、食事もレトルトや缶詰、インスタント食品で済ますことが増えた。そもそも、食欲自体がなく体重が6㎏も減った。外出するのがしんどくて、ほとんど家の外に出ることが無くなった。

それでもなんとかしようと頑張ったが、頑張ろうとすればするほど、あのうつ独特の息の詰まるような閉そく感やだるさで、寝込む日が多くなっていた。普通ならとっくに病院を受診している状況だった。

メンタルクリニックに行くのは、どうしても嫌だった。わかってはいても、うつ病と診断されるもの嫌だった。無神経な『専門家』に傷つけられるのも嫌だった。過去にひどい副作用を経験しているので、薬を飲むのも嫌だった。

嫌だ嫌だ嫌だ…
でももう、そんなことを言っていられないくらい事態は切迫していた。これまでのやり方では、対処できない段階になっていると痛感させられた。

このままなら、また完全に日常生活が送れなくなり、病院送りか家族の世話になる羽目になることは、目に見えている。もうすでに、遅いくらいだった。できることは全部して、日常生活がきちんとおくれるようになることが最優先だった。

タイミング良く、初めて行ってみようかと思えるメンタルクリニックが見つかった。予約の電話を入れると、初診は最短で1か月後になるという。

予約の電話をしているにも関わらず、まだ行きたくない気持ちが強く、受診日までに良くなれば、キャンセルすればいいと思いながら予約を入れた――ところがその数時間後「キャンセルが出たので4日後でどうですか」と連絡が来た。

その時、私はもう観念した――これは、受診しなさいという天の声なんだなと。

この時私の判断力はかなり低下していて、薬さえ飲めば1か月くらいで働けるようになると思い込んでいた。家族にそう言ったら「とても無理でしょ。何言ってんの」と呆れられた。客観的に見ればそういう状態だったらしい。
 
受診した医師は、特段優しくもないが余計なことは言わない。薬は必要最小限しか出さない。私にとっては良い医師だった。

向精神薬が効きすぎて、最初の薬は副作用で物が二重に見えてしまい使用中止になった。その後処方された薬も、眠気が強すぎて量を減らしたり増やしたり、飲むタイミングを変えたりと、調整には数か月かかった。

それでも薬で治療すると決めたからには、天の恵みと思ってありがたく受け取ることにした。ひどい眠気でフラフラになり、何日も眠ってばかりいたことが何回もあったが、異常な焦燥感や抑うつ感は楽になっていったので、薬が効かないよりよっぽどマシだし、少量で薬効を享受できると感謝することにした。

そうして心も体も薬を受け入れていき、だんだん日中の眠気も減って、薬の量や飲み方が定まっていった。半年以上経って、ようやく少しずつ落ち着き始めると、これまでの数年間がどれだけうつに蝕まれていたのかを感じた。

もっと早く受診していれば、回復にこんなに時間はかからなかっただろうにと思いもしたが、もし早々に薬を使っていたら、これを書き自分と向き合うことはできなかった。

どうやら、知らぬ間に最善の道を辿(たど)っているようだった。誰にとって最善の道なのか…それがよくわからない。少なくとも、私には辛くて経験したくない道のりだった。

人より先に余分な経験をして、後から来る人に伝えたり、気持ちを慮りながら話を聴く。そんな役回りらしい。

何度か冗談半分で『どうしてわかるんですか?見えるんですか?』と言われたことがあるが、経験の絶対量と勘で察しがつくというだけで、もし『見えている』なら、こんな人生歩んでないよと思う。


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