戯曲は机の上で書かれてたわけじゃなかった
私が初めて稽古をつけてもらったのは、
2005年の「熱海殺人事件~平壌からきた女刑事」だった。
ある日いきなり、「お前、これに出るからな」と言われてドキドキした。
1年間の研修期間を経て、劇団員になっての最初の舞台だった。
黒谷友香さん、石原良純さん、春田純一さんや劇団の大先輩が稽古するなか、稽古期間も終盤にさしかかったころいきなり呼ばれた私は身の置き所がないように感じられたが、
実際は、稽古中にどんどん変わっていく台本をタイピングするのが精一杯で、緊張するどころではなかった。
稽古は、口だてでどんどん変わっていき、パソコン内の台本データを修正するのが私の仕事でもあった。
呼ばれたのは、それだからじゃないよ?
パソコンで戯曲データを管理していない時代は、台本にえんぴつで書き込んでいて、
私が入ったのはちょうど稽古場にパソコンを持ち込んで、稽古場で、修正するようになったころだった。
初めての稽古場は、笑いが絶えない稽古場だった。
と言っても和気藹々とした稽古場というのは、程遠く、ピりっとした空気が漂っており、
その中を全速力で役者が突っ込んで面白いシーンが誕生していくという独特の雰囲気だった。
楽しいけれど、気を抜いたら一瞬でアウトって感じ。
初舞台は、私の出番は、ほんの少しで、最初はセリフも3言くらいしかなかったが、
劇場に入ってからどんどん増えていった。
公演日程の半分がすぎたくらいで、出演者が1人増えたし、
初日と千秋楽では、ラストシーンが全く違うという本当に面白い舞台だった。
紀伊國屋ホールでの初舞台を終えた後
12期生は怒涛の「顔見世公演」と突入する。
紀伊國屋公演「平壌から来た女刑事」が3月
そして4月に事務所の引っ越し。
廃校となった校舎を使わせていただくことになり、事務所の一部がそちらに移った。
その際、稽古場を2つ作ってもらえることになり、これまでメインの稽古場であった田端文士村記念館から新稽古場へと移動。
新稽古場のお披露目も兼ねて、12期生による「平壌から来た女刑事」の稽古場お披露目公演が決定したのだった。
当初は、稽古場公演として興行をする予定だったが、セキュリティの問題などがクリアできず、
主に研究生や戯曲コース生を対象とした公演となった。
というセリフが好きだった。
その後、同公演を6月に田端文士村記念館にて行うことが決定。
8月公演に、3本だて公演。
「熱海殺人事件~平壌から来た女刑事」に加えて、「熱海殺人事件~モンテカルロイリューシン」「売春捜査官」を上演。
大変だったけれど、充実した楽しい日々だった。
しかし、この公演は、怪我人が続出して色々な意味でも大変だった。
ある時怪我人が続くことを憂いて、劇団員によるお祓いをすることに。
ある先輩に宮司の格好をさせて、
文士村記念館でお祓いをするとつか先生がおっしゃって、その話で事務所中が盛り上がったていた。
盛り上がった記憶はあるのだが、その後本当にお祓いをしたのかどうかは定かではない。
8月ごろにしたって報告受けたような・・・。
というのも私も本番途中に怪我で降板してしまったから当時の記憶が混沌としてしまっているのだ。
あのときは、たくさん迷惑をかけたし、共演者には恨まれた。
それが原因で9月に予定していた「ロマンス」に出演できなくなった私。
落ち込む私に、大先生が
「芝居の失敗は、芝居で返せ」
と翌年4月に予定されていた王子小劇場での公演に出演が決められたのだった。
つづく