もともと、この本を読もうと思ったきっかけは國分功一郎の『暇と退屈の倫理学』のなかの一節がきっかけだった。狩猟採集時代の話しである。
社会というものが出来上がる前(つまり狩猟採集時代)は、自然状態だったから、「嫌な奴がいればどこか別の場所に行けばいい」という単純な発想だった。だが、食糧を得る方法が狩猟から農耕に変化していくにつれて、定住による様々な弊害が出てくることになる。弊害というか、それ故に社会が形成されていくことになる。
農耕社会じゃなければ、野武士から村を守ってもらうために『七人の侍』を雇わなくても良い。逃げれば良いのである。
やがて決まった場所に定住した人々は、次第に集まって部族、村などの社会を形成する。いつも同じ隣人と暮らしていると、複数の家族のあいだにある種の結びつきが発生する。男女の出会いもある。恋愛や嫉妬も生まれる。そして、自尊心という感情が生まれる。
「尊敬されたい」という自尊心は集団という社会が形成されたことから生まれた感情だった。自尊心は人間の本能ではなく、文明社会が生み出した産物なのだ。
自尊心がでかいほど、侮辱されたと感じるんだから厄介なものだ。しかし、ルソーは別に「だから自然に帰ろう」と言っているわけではない。むしろ自然状態とは「もはや存在せず、おそらくは少しも存在したことのない、たぶん将来も決して存在しないような状態」と述べている。だから、人間は本来自然状態なのだけど、社会という仕組みのなかでは否応なくそういうギクシャクした悪徳やうらみという感情を持ってしまう生き物なのだということを理解しておけば良いと思う。良いというか、そういう相対的な視点を持っておくと少し安心するところがある。
現実社会でも、人間本来の自然状態を思い出して、嫌なことや自尊心を傷つけられることがあっても「あぁあ、なんだよぉ・・・・」と思うにとどめられれば良い。上司や職場の同僚から侮辱するような態度や言動をされても、「仕方ない」と思って人を恨まない。これはあの人が悪いんじゃない、あの人に明日も明後日も会わなければいけないという社会の仕組みが産み出した悪徳なんだ。と思えば、人生を少し楽に生きられるかもかもしれない。