誠実アピールの論理的矛盾

誠実な人が良いという希望は男女ともに多いが、誠実とはなんなのかを考えてみる。

誠実とは、一人の人に脇目もふらずコミットすることだと思われがちだ。


ただ、現実をみると、脇目もふらず相手にコミットすることと、相手に見返りを期待することは必ずといっていいほどセットである。

その結果、相手は居心地が悪くなる。

相手を居心地悪くさせていたら、その「誠実さ」というのは、結果的にただの独りよがりな行動でしかなくなる構造を抱えている。

じゃあ、何が誠実なのかというと、相手の期待する立ち位置にいつもいるということだ。

相手が今は距離を置きたいと感じているなら、それを尊重する。
相手が寂しいと思っていたら、相手の許す距離感の中で側にいる。
(補足:無理して遠ざかるのではない。勝手にこらえすぎている様子はコミットしているのと同じ)


そういうスタンスでいてくれる人なら、一緒にいて居心地がいい。

それは結果的に相手の思いに誠実でいるということになる。

それゆえ、出会いの場などで熱心に「自分は一途だ」アピールをする人は眉唾だ。

一途だとか誠実だとかは、上に書いたように相手の受け取り方次第であり、
また、実践してこそ価値があるわけで、

出会った初期にそれをわざわざ言語化するような人がいたら、ひとりよがりな人である可能性が高い。

それに、相手がどんな人間かもわからないうちから、「自分は相手に合わせられる(から付き合ったら得だよ)」と伝えている状況はそもそもおかしい。

自分は「誠実」なので、まず100万円くれませんかと言われて渡す人はいないだろう。端的にいうと、詐欺師っぽい。それか、余程自信のない人である。


ということで、言語化されているアピールはちょっと怪しいので、まずは気心が知れた友だちになれるようにしたほうがいいと思います。

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