
恐怖を抱える自分と生きる──『くもをさがす』読書感想文
カナダに移住して、現地で乳がんの罹患が判明した著者。
著者の意識として「自分は決して強くない。ただ目の前のことに対処しただけ」というスタンスがこのエッセイには一貫してあるが、一読者からしてみれば目の前のことへの対処の仕方がとても「強いな」と感じる。
情け容赦なく襲い掛かる人生の出来事に対し、弱気になる。後ろ向きになる。一時的に逃げる。そんなのは人間として当たり前だ。強い・弱いというのはそういうことではない。
「どんな出来事にも目を逸らさずに真っ向から対峙する」
そういう著者の姿勢がこのエッセイにはみなぎっていたし、会ったことのない著者に尊敬の念すら覚えるほどに「強いな」と思った。
一個人の視点を通した、闘病。異文化との邂逅と、違い、折り合い、意識の変化。
本に書けないこともたくさんあったと思うけど、自分(の感情)との付き合い方とは。生と死とは。良い人間関係・人付き合いの距離感とは。良い社会とは。
たくさんのことを考えさせられるとてもすてきなエッセイだった。
異文化の中で
著者は語学留学目的で2019年にカナダに移住して(2022年帰国済み)、コロナ禍中である2021年に癌であることが判明。カナダで闘病生活を送ることになった。
そもそも医療制度が日本と違う。初診は即日受けられないし確約されない、救急は数時間待ち。
そもそも人の仕事に向かうスタンスが違う。受付スタッフは不機嫌を隠さないし(これは特定のケースだけかもしれない)、医療スタッフは案内や連絡の不備があっても謝らない(自分のせいではなく組織やシステムのせいだから)。懇切丁寧な事前説明はない。こちらから質問しなければ問題は解決されない。
違いという点でいえば、相互扶助という意識が、日本よりもかなり強くカナダに住む人々の間には自然に根付いていることが描かれる。それはキリスト教の影響かもしれないし、著者の言う通り「異邦人だらけ縁者のいないものだらけ」の社会であるからかもしれない。
日本の友人たちも、皆優しい。温かい。頼めば、それこそなんでもしてくれただろう。実際彼女たちは、すぐに大量の日本食やパジャマ、冷え取りソックスや子供の絵本を送ってくれた。
そして、日々メッセージを送ってくれた。それがどれだけ私を励ましたかは、とても表現しきれない。そして、彼女たちのそばにいたいと思ったことも、一度ではない(もちろん、母のそばにも)。
でも、日本にいたら、私の方が遠慮してしまったのではないだろろうか。自分たちでなんとか出来る、すべきだと、気負ってしまっていたのではないだろうか。それは私の性格というより(私は、人に頼るのがとても得意だ)、日本の風士と関係があるように思う。自分たちで何とかしないと、それも、家族のことは家族だけでなんとかしないといけない、という考えが、私たちの心身に染みついているのだ。
海外にいたら、誰かを頼らずには生きてゆけない。特に私の語学力ならなおさらだ。それは、がんになる前からそうだった。駐車の許可証の取り方から、日本食が売っている店を教えてもらうことから、家を空ける間猫の面倒を見てもらうことまで、様々なことに関して、いろんな人に助けてもらった。どこかで助けられることに慣れ、同時に、誰かを助けることにも慣れた。
もちろん、一時的な滞在者である私たちには、出来ることが限られている。でも、子供を預かったり、引越しの手伝いをしたり、車を持っていない人に重いものを届けたり、出来ることはいくらでもあった。
これらの違いは、良いでも悪いでもなく、そこにあったらただそういうものだと受け止めるしかない。「郷に入っては郷に従え」そういう風に生きていくしかない。そういう柔軟性が異文化の中で生きるには必要なんだなと感じさせる。
そして、私たちにはそもそも生きる場所を選べる権利があるということ自体がとても幸せなことなのだ。
バンクーバーに数年いた私が感じたのは、日本人には情があり、カナダ人には愛がある、ということだった。感覚的に感じたので、その違いを説明することはなかなか難しいのだが、カナダ人は、「愛を持って人に接する」という強い意志と共に行動しているように感じる。信仰のあるなしにかかわらず、愛を持って人と接することは、そして、愛のある人間として生きることは、彼らの尊厳の問題なのではないか。
〜中略〜
情は、意志を持って、そして尊厳のために獲得するものではなく、気がつけば身についているものだ。目の前に困っている人がいれば、愛を持って立ち上がる前に、なんかもうどうしようもなく(あるいは渋々)手を伸ばしてしまっている。もしかしたら本人は面倒がってしまっているかもしれない。もしかしたら自分の方が困った状況にあるのかもしれない。
自分の居場所を譲るのは、本当は死活問題で、でも、もうそこにいる困った人を、どうしても、どうしても放っておけないのだ。
愛がいつも良き心、美しい精神からきているのに対して、情は必ずしも良き心や美しい精神からきているとは限らない。だから情は、それによって状況をさらに悪化させたり、時に人間を醜く見せたりもする。情に流されて悪事に手を染めたり、絶対に許すべきではない人を許してしまったりする。
生まれ育った文化が人に与える影響は多大なものがある。けれど、考え方は置かれた環境によって確実に変化する。
著者のいう「愛」と「情」については、「ああそうだよなあ」と共感する部分がとてもある。ただ、生まれた時から情というものに浸り、染め上げられた私たちにも愛を育む余地はきっとある。
異文化に触れることで、自分にフィットする人間関係の理想系を知り、それに向かって自分の振る舞いを変化させていく。違和感を感じる部分は、自分との適切な距離感を見つける。異文化に触れる意義は、そうやって自分の視界を広げ行動を開くことにあるのだろうなと思う。
どうあるかより、どう向き合うか
長女がオンラインで学ぶ英語の先生は、カナダ人だ(ちなみに長男の保育園のクラスのパパ友)。
夏休みになるとカナダに帰省して、実家や故郷の街の様子を動画に撮ってレポートしてくれる。お母さんはアフリカ系の移民。家は広く、家族仲は良くて、友人たちも優しそう。人として好感が持てる考え方を持つナイスガイな彼が育った環境として納得できる幸せそうな様子にいつも癒される。
カナダって自然豊かできれいだし、移民も多いけどうまくやっているし、強硬なイメージも暴力的なイメージもないし、いい国っぽいよね。
そんな漠然とした印象がある。
でも、当然良い面ばかりなわけもなく。
アルコールや薬物は、先住民族だけの社会問題ではない。様々な理由から薬物を使用するに至り、バンクーバーの路上で暮らす人たちの数は、そして薬物使用者の数は、驚くほど多い。
彼らは路上で腕に針を刺し、使用済みの針が至る所に落ちている。そしてこういったことは、あまり知られていない。
もちろん、あらゆる街に、暗部はある。完璧な人間が存在しないように、完璧な街などないからだ。
だが、カナダは、こういった暗部にも、カナダらしい対応を見せている。例えば寄宿学校の事件が発覚した直後、あらゆる場所で「every child matters (全ての子供の命が大切だ)」の運動が行われた。そして9月30日は先住民族のための「真実と和解の日」と制定され、祝日になった(バンクーバーではこれまでも、その日は、皆が連帯を示すオレンジのシャツを着て、子供たちに事実を伝える教育がなされてきた)。そのスピードは、日本人の私からすれば、驚くべきものだった。
誰かが「そこ」にいたいと思うその気持ちを踏み躙るのは、単純に制度だけの問題ではない。
適切な書類を得ていても、適切な審査を通っていても、誰かが存在するというその事実に我々が適切な敬意を払うことがなければ、その人の存在は途方もなく脆弱なものになる。
〜中略〜
人々の自殺率が高いこと、家のない人々への差別的な視線、薬物を使用せざるを得ない人生を歩んでいる人たちの排除、その他、と括ることすら残酷な事象の原因は、ほとんど同じ場所から来ている。私たちの心だ。
バンクーバーで暮らすことは、あらゆる「他者」と共に暮らすことでもある。彼らは、あらゆる場所から、あらゆる背景と共にやってくる。中には母国で存在することすら許されなかった人もいる。その人がその人のままでいられない、その人が望む生を送れない場所を、果たして国と呼べるのだろうか。
恵まれた環境にいると触れることもない。知ることもない。でも、紛れもなくこの世に存在するたくさんの「残酷な状況」。果たしてその事態を目の前にして、排除しない心を持てるものだろうか。暗部を隠したくならないだろうか。
自分に向き合うということ
癌との闘病は、死というものに直結している。
想像するだけでも震えてくるのに、それに直面しなければならない状況になったら。
いつも“己”とのタイマンを張りながら、著者はたくさん揺れ動く。
ノリコから勧められて、私はずっと瞑想を続けていた。
夜眠る前、10分でも、5分でもいいから、深く呼吸をして、自分を見つめる時間を作った。
そのまま眠ってしまう時は良かった。厄介なのは、今後やらなければならないことや蟠っていることが、頭の中をぐるぐると回って、全く集中できない時だった。でも、いつしかその集中できない感じ」すら、新たに見つめることが出来るようになった。私は今、集中できていないなぁ。あ、また新しい不安が浮かんだ。次はこれか、あんたは不安が多いなぁ、そんな風に。
見つめた先にあったものは、大抵、私の内にある恐れだった。それは本当に頻繁に、頻繁に現れた。
例えば何かに腹が立った日、その感情をずっと見つめ、解体し続けると、最後に現れてるのは恐れなのだった。怒りや苛立ちなど、一見、恐れから遠いような感情に見えたとしても、それは必ずと言っていいほど、恐れから端を発していた。
恐れには形がなかった。実体のない塊として私に取り憑き、時には恐れそのものも、何かに怯えていた。私は恐れを哀れに思うようになった。長らく私の体に寄生し、私の感情の発端となってきた恐れは、私自身が作ったものだった。私は恐れの母であり、父であり、友だった。私は恐れを抱きしめた。私が作り、長らく私を苦しめてきたこの恐れを、私は今こそ自分の、このたった一人の自分のものとして抱きしめなければならなかった。
乳房、卵巣、子宫、という、生物学的には女性の特徴である臓器を失ったとしても(ちなみに今私は坊主頭だが)、それでも私は女性だ。そればどうしてか。私が、そう思うからだ。私が、私自身のことを女性だと、そう思うからだ。
身体的な特徴で、自分のジェンダーや、自分が何者であるかを他者に決められる謂れはない。
自分が自分のことを女性だと思ったら女性だし、男性だと思ったら男性だし、女性でも男性でもどちらでもないと思ったら、女性でも男性でもない。私は私だ。「見え」は関係がない。自分が、自分自身がどう思うかが大切なのだ。
私は、私だ。私は女性で、そして最高だ。
人はいつか死ぬ。
皆が経験するはずのその死を、私はこれ以上ないほど怖がっている。死にたくない。少なくとも「もう死んでいいか」と納得できる日なんて、私には来ない気がする。きっと死ぬ瞬間、最後の最後まで、それはもう、本当にみっともなく、怖がり続けるだろう。
がんになって良かったことは、「それの何が悪いねん」、そう思えるようになったことだ。みっともなく震えている自分に、「分かるで、めっちゃ怖いよな!」、そう言って手を繋ぎ、肩を叩きたくなる。
自分が死ぬのは破茶滅茶に怖い。
それどころか、日常的に起こる些細な出来事も、怖くてたまらない。
みんなそうなんじゃないか。時折訳もわからず訪れる「恐怖」に巻かれて、溺れて、必死にもがきながら、毎日を生きているんじゃないか。
「どんな出来事にも目を逸らさずに真っ向から対峙する」
その中でも死という究極的に得体の知れない恐怖に、癌という事象を通して毎日毎日向き合ってきた著者の言葉には、力がある。
その言葉に、怖さに向き合いながら生きていく勇気とパワーをもらえる。
……まとめがそんな月並みな言葉で申し訳ない気持ちになるけど、まさにそういう本だった。