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ふまえておけるとだいぶ違う──『7つの習慣』読書感想文(前)
ビジネス書の検索でこの本を目にしないことはない。だから「ふまえなければならない書」なんだろうという認識がずっとありました。
この度、図書館で見かけたので借りて読んでみました。
※私の読んだ版は、「日本発売20周年記念特装版」
(感想)いや、その通りだわ〜
読んだ所感はこの一言です笑
「ですよね」感はカーネギーの『人を動かす』と同等。
生きるためのエッセンスが詰まっているなと思いました。やはり多くの人に支持される本は、違うのだなあ。
巻末「私が良く受ける質問」に、こんな質問と回答がありました。
Q.『7つの習慣』は一九八九年に出版されました。それ以降のご自身の経験を踏まえて、どこか書き換えようとは思いますか? 書き加えたいこと、逆に削除したい箇所はありますか?
A.軽々しく答えるつもりはないのですが、どこも変えるつもりはありません。〜後略〜
効果的に生きるための基本的な原則──原則って自分で言い切れちゃうのすごいけど、それだけコヴィーさんが自信を持って伝える、彼の英知が詰まっているのです。
たしかに私が人生を半分生きてきて、最近身にしみて感じる「本当に大切なこと」がギュッと書かれている。
「幸せってなんだろう」と考えた時に、多くの人はこう答えるんじゃないでしょうか。
他者から認められ、居場所があること
他者から持続的な愛を感じられること
たとえば、自分自身が「やりたいこと」を達成した時、そこに他者からの評価という軸が含まれていない人はいるのでしょうか?
結局は、他者が自分の生きる意味を教えてくれます。
だからこの『7つの習慣』には、すべて「他者とどのように良い関係を築くのか」ということを重視した習慣が書かれているのだと思います。
7つの習慣と私
本書に取り上げられる7項目は超有名だから、もはやここで一つ一つ取り上げるまでもないのですが、せっかくこうやってアウトプットに取り組み始めたので、私なりの経験や解釈を付記しながら書き留めておこうと思います。
7つ分書くと長いので、この記事ではまず第三の習慣まで。
第一の習慣:主体的である
人間同士一対一の関係を築くには、まず自分自身が独立した個としてあることが前提だ。それは相互依存しないということではなく、自分自身の価値観に従った選択をすべきだということ。
私たちが自分の身に起こったことで傷つくのではない。その出来事に対する自分の反応によって傷つくのである。
私たち人間には、人間だけに授けられた「想像」「良心」「意志」「自覚」という4つの能力がある。それに従って、「自分の人生の創造主は自分自身であり、その責任は自分自身にある」と認識すること。
主体的であることは結果として、物事に対する見方を変え、視野を広げ、それを態度で表して周りの状況に影響を与える。つねに「自分には何ができるか」を考えた上で、それを他者にどう還元するかを考えるということ。
「〜だから」「〜のせいで」そういう思考に陥っていないか。
他者の弱点や欠点ばかり見て、「そこにある」現実から逃げていないか。
実は、問題は「そこ」ではなく「その外」にあるという。
それに気付き、少しずつ視野を広くしていくことが、自分の自由の範囲を広げるというすばらしい結果につながる。
第二の習慣:終わりを思い描くことから始める
著者の勧めに従い、自分の人生の終末を想像してみる。
私の葬式に参列している人は、どういう思いで見送っているだろうか。棺の中の自分自身は、自分の人生をどのように思っているだろうか。
私は昔から、死ぬ時には「今が一番最高だ」と思って死にたいなと思っている。
今を楽しむこともとても大切だけど、そればかりだといつしか過去の思い出に縋るだけの日が来るのではないかと思う。そんなのは嫌だし、自分自身の思う最高を目指して生きることが私は充実している・楽しいと感じるからだ。ほんの少しでもいい。何歳になっても自分の成熟・成長を感じたい。
そして、数は多くなくて良いから自分が大切にしていた人の中に、自分の存在が少しでも残ってくれるといいなと思っている。
それが私の人生の最終目的地であり「ビジョン」である。
手段ではなく目的を意識して生きることは、(自分の価値観においての)成功につながる。「想像」「良心」そして「自覚」をはたらかせて自分自身の根拠となる原則を創造しなくてはならない。
さて、先ほどの終末から想像できる私の原則とはなんだろう?
まず一つ目。「今が一番最高だと思って死ぬ」は、常に視点を更新していきたいという気持ちの表れではないかと思う。
新しい価値観に触れることへの好奇心を大切にしたい。自分の中の思考をアップデートしていきたい。外発的なものであっても、内発的なものであっても、その変化自体を楽しむ気持ちを大切にしたい。
二つ目の「誰かの中に自分を刻む」ということは、それ相応の時間と行動が必要だということを今までの経験から理解している。
それを可能にする関係は、密に時間を過ごす家族が中心になるだろう。
幸い、私には愛してやまない家族がいる。自己中心的と思っていた自分が驚くほどに、自然に物事の折り合いをつけられる貴重な存在だ。このかけがえのない存在を大切にしたい。
ということで、私の人生の原則であるビジョンをまとめると、
新しい価値観に触れることへの好奇心に忠実に過ごし、手に入れた知恵を大切な存在が幸せになるために良い形で伝え、残したい
こんな感じになるのだろうか。
大切な存在というのは出会いがあればあるほど増えていく。自分のキャバを見極めつつ、共に歩むチャンスがあれば、家族以外の人間に対しても同様に密度の濃い関係性を築き、歩んでいきたい。
それが膨大な数の人に対してできる人もきっといるのだろうが、私はそんなに器用じゃないので比較的範囲は狭くなると思う。でも、「狭く濃く」は私が臨む人間関係の形でもある。出会いは広く関係を深めるのは狭く。そうやって、人間関係も良い形に整えていきたい。
ビジョンから、ミッションステートメントを定め、日々の行動として反映し、その地道な積み重ねが着実なビジョンの達成につながっていく。
人生はそんなに単純じゃない。ぼんやり歩いた先にたどり着くものもあると思う。けれど、自分の意志が少しでも見えているのなら、ゴールを見定めてから動くことは遠回りなようで、一番の近道なのだろう。
第三の習慣:最優先事項を優先する
緊急度と重要度を縦軸・横軸にしたおそらく多くの人が目にしたことのある、時間管理のマトリクスがある。
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私たちが最も意志の力を発揮するべきで、かつ人生に大きな効果・影響をもたらすのは、「重要で緊急でない第II領域である」と著者はいう。
第II領域にある事柄は、問題が顕在化する前のいわば根本的で本質的な部分である。第Ⅰ領域に追われず、第Ⅳ領域に逃げ込まず、第II領域に率先して時間を割き対応していくことで、危機を自分のコントロール下においておける。
優先度は効率重視ではあっても効率が絶対ではないことだ。この習慣の第一の目的は「時間の確保」ではなく、「人間関係と結果」である。
特に人間関係においては効率を優先して実りがあったためしはないと著者はいうし、私もそう思う。そういう時は第二の習慣で洗い出した「なにを大切にしたいか」という自分の価値観に立ち返ること。
自分の中にあるより高い価値観に従って行動できる。あなたは、その価値観に基づいて誠実にスケジュールを立てることができる。そして、柔軟に適応することができる。スケジュールを守れないことがあっても、変更を強いられた時も、罪悪感を感じることはない。
なし崩し的に現状を続けるのは楽だ。
けれど、あえてその先に目を向けて、問題に“対処”することだけでなく、“根本から見つめて解決に向かう”ことをより意識しなければならない。
「自分がやるべきこと(第Ⅰ領域)」にいっぱいいっぱいなら、その「いっぱいいっぱい」な理由を分析し、問題を切り分け、他者をマネジメントし、新しい仕組みを作ることが大切だ。それをやらずしていつまでも抜けられない負のループに陥っているなら、それはほぼ100%自分のせいだ。
私はこの第三の習慣に、仕事・家庭における過労働を抜ける鍵があるのではないかと思う。