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沈黙の必然に迫られて磨かれた──『ロシアのユーモア』読書感想文

アネクドートとは、本来口から口へと伝えられる、かげろうのように移ろいやすい存在で、民話と同じくいつしか文字に固定された頃から「文学」に昇格したジャンルである。

書籍データ

ロシア特有のユーモア「アネクドート」。
私は下記のやりとりだけ、以前にどこかで目にしたことがあった。

「潔白でりっぱな人間を買うことはできるか?」
「買うことはできない。売ることはできるが」

このような刺激的なユーモアは、当然ロシアの歴史、政治、風土、文化と大きな関わりがある。他言語ではニュアンスが伝えづらい、ロシア人に密着した「文学」であるアネクドートは、大きく三つの時代──近代と、共産党時代と、共産主義崩壊後に分けられるという。
それぞれの時代の、時代を映すアネクドートの特徴とはどのようなものか。

近代

帝政ロシア時代のアネクドートは、機知に富んだ「すべらない話」のような性格を持っているようで、どこかのんびりとした風情が感じられる。

(イギリス太子が望遠鏡をエカテリーナ女帝にプレゼントし、女帝はわくわくしておられた。宮仕えの人々が先を競って望遠鏡を設置し、月面上の山々がはっきり見えますと請け負った。自分の番が来た時、リヴォフ大将は望遠鏡を覗きながらいった)
「私は山だけでなく、森まで見えました」
「ずいぶんと私の好奇心をそそるお言葉ね」そういって女帝が椅子から立とうとなさった。
「陛下、お急ぎください」とリヴォフがつづけた。「月では森の伐採をはじめました。ご覧になるまでになくなりそうです」

※臣下にここまで伸びやかなユーモアを発させるエカテリーナという人に俄然興味が湧いたので、ピョートル大帝の本と一緒にアンリ・トロワイヤ著作の下記を読もうと思う。

近代のアネクドートは必ずしも人を笑わせる要素は重視されておらず、なんらかの徳(もしくは悪徳)の性格や特徴を示し、面白い出来事やニュースを伝えることがその役割であったという。

共産党時代

共産主義が台頭していたレーニン・スターリンの時代においては、時に皮肉まじりのユーモアの伸びやかさは一転し、政治への不満・風刺に溢れたアネクドートが誕生する。その緊張感たるや半端ない。
権力の弾圧の中で、文字にできず口で伝播され、口にしていたと密告されれば尋問や収容所送りのリスクがあり、しかしながら発信源には辿り着けないかげろうの言葉。著者はこの時代のアネクドートの大半は文字にならずに消失したのだろうと推測している。
まさに「アクネドートの真骨頂」が発揮された時代といえるのではないだろうか。

なので、残存している内容もビリッとするものが多い。
外国人の私にも理解できて、かつ印象深かったものをいくつかここに紹介する。

(独ソ戦の最中)
パンを買う行列で一人のユダヤ人がため息をついた。
「こりゃ全部、ひげ男のせいさ」
早速、逮捕され、厳しい尋問を受けた。
「あなたはだれのことをいっているのだ」
「もちろんヒトラーのことでして」
「そうですか、だったらあなたを釈放します」
ユダヤ人は立ち上がってドアの所までいき、しかしドアを閉める直前に、判事にこういった。
「ところで判事さん、あなたさまは、だれのことを念頭においていらしたのですか」

ひゃー! 薄ら寒いっ!

(レニングラードの実質的市長であり人望熱かったキーロフが何者かに殺された。周囲はスターリンが彼を謀殺したのではないかと考えていた)
スターリンは党中央委員会を集めて伝えた。
「昨日、我々が熱烈に愛していた同志キーロフが殺された……」
カリーニンがかれの言葉をよく聞き分けず、尋ねた。
「だれをですって、だれを殺したのです?」
スターリンはこんどは大声でいった。
「昨日、我々が熱烈に愛していた同志キーロフが殺された」
カリーニンはふたたびいった。
「だれを、だれを?」
スターリンはいらだった。
「〈だれを、だれを〉って。殺す必要のあった人間を、だ!」

うあー怖い〜〜〜!!

私が本書の中のアクネドートの中で一番面白いと思ったのが下記。

スターリンとチャーチルが飛行機で飛んでいるとき、窓の外をみると、小悪魔が翼を鋸で挽いていた。チャーチルがパイロットを呼んでいった。
「あいつに伝えてもらいたい。鋸で切るのをやめたら、海岸の別荘とヨットと10万フント銀貨を保証するとね」
パイロットは伝えた。小悪魔は耳をかすことはしたが、挽き続けた。
「伝えてもらいたい。挽くのをやめたら、かれを大富豪にしてやり、副首相のポストを与えるから」
パイロットが伝えた。小悪魔は耳をかすことはしたが、挽き続けた。
それでスターリンがパイロットを手招きして、いった。
「あいつに伝えてくれ。もし、りっぱに挽きおおせたら、集団農場に登録してやるから」
小悪魔は風に吹きとばされたようにいなくなった。

集団農場に対する痛烈すぎる皮肉。
考えた人、頭良すぎる……。

共産主義時代の最後に。これも私は好きでした。

「共産主義者とはだれをさすのか」
「共産主義者とは、マルクスとレーニンの本をすべて読んだ者のことである」
「では、反共産主義者とはだれをさすのか」
「反共産主義者とは、マルクスとレーニンのすべてを理解した者のことである」

共産主義崩壊後

スターリン以降、ペレストロイカに代表される動きで徐々に緩む情報統制、しかしながら一向に上向かない生活の中で、共産主義時代の枷を引きずりながら民衆は生きていく。
アネクドートはそのあり様を描き出し、現体制への批判をダイレクトに伝える率直さが見えるというのが私の所感だ。

「社会主義体制はいかなる矛盾を抱えているか」
「わが国には失業はないが、だれも働いていない。だれも働いていないが、みんな給与をうけとっている。わが国ではみんな給与をうけとっているが、しかし給与ではなにも買うことができない。給与ではなにも買うことができないが、みんながすべてのものを持っている。我々はすべてのものを持っているが、みんな満足していない。しかしみんな不満だが、投票の時はみんなが『賛成〈ダー〉』」

イギリスのボルゾイ犬とロシアの番犬が出会った。
ボルゾイ犬は尋ねた。
「で、どうだい、ペレストロイカで生活はよくなったかい?」
「もちろんさ」番犬は答えた。「餌皿は遠のいたのは本当だが、そのかわり鎖は長くなったし、好きなだけ吠えられるようになったからね」

イギリスでは多くのことが駄目であるが、しかし、して良いことはして良いのである。フランスでは多くのことはして良いのだが、しかし、駄目なものは駄目である。アメリカでは駄目なことすら、してよいのであるが、ソ連では、して良いことすら駄目なのである。

これはすごく鋭いと思うんだけど?
なんとなくヘタリア読みたくなった。


その後、情報公開が進むにつれて、アネクドートは紙面に印刷されるようになった。
「形に残る」ことで淘汰されにくくなったためなのか、緊張感の喪失のためなのか、取り上げるネタが政治から自国の富裕層に移行する中で、あきらかに共産党時代に培われたこのジャンルの基準はぐついていると著者は述べている。それがアネクドートの質の低下なのか、それともそれが新しい時代を映すアネクドートということなのかはわからないけど。

「アネクドート」という文学は、他者に対しては限りなく批判的で、時に自嘲的で、鋭く真実を射抜く。自分を取り巻くどうにもならない状況にあるロシア人が、しかし自分を失わず自分を慰めるために生み出した生きる術であるように思える。

同じような状況に置かれた時に、自分ならどういう風に自分を慰めるだろうか。このようにウィットに富んだ言葉を、日本人もまた生み出すのだろうか。


少し時間に余裕ができたら、何日かかけてじっくりドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」「罪と罰」、トルストイの「戦争と平和」を読むのを夢見ています。
ロシア文学は日常の中で片手間に読むの絶対無理だもの!

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