藝大生の生態に迫る?!──『最後の秘境 東京藝大』読書感想文
東京藝大で開催された『大吉原展』に行った翌日、本を売りに立ち寄ったブックオフで棚置きされているこの本を見つけました。
「おお、なんだか運命的だな」と思って、迷わず購入。
著者は東京藝大生の妻(当時)を持つ作家、二宮敦人さん。
妻が平生から見せる奇行や突飛な言動に物書きとして心惹かれた著者は、一般人からしてみれば奇妙奇天烈な「秘境」である東京藝大生への取材を試みて……
本書はそのインタビューをもとに編まれたエッセイです。
私にとって東京藝大の学生は「感性」で生きている最たる人、というイメージ。とんでもない思想や思考回路が本の中に待っているのではないか?!と思って、ドキドキしながら読み始めました。
才能の集う場所
芸術って、とんでもなくそのものを突き詰めることの極地だと思う。
でも、ものを突き詰めることって、ものすごく怖い。
思い込みというか、ある意味での一途さが必要だし、そこに踏み込んだら後戻りできなさというか(別にできなくはないのでしょうけど)。
それは、石橋を叩いて渡るタイプの私にはどうにも踏み込み難い、理解できない境地でもあります。
東京藝大の上野キャンパスには、その名の通り、美術に関する学科を専攻する“美術学部”と音楽に関する学科を専攻する“音楽学部”の2つが存在します。そこにいるのは、芸術界の東大と呼ばれる最難関の入試をくぐり抜けてきた猛者たち。
音楽学部では、入学するために一流の指導者にレッスンを受けたり、物心つくかつかないかのうちからレッスンを始めるのは当たり前。美術学部も専門の予備校通いが基本当たり前。
うーん、気合の入りようが半端ない……
でも、天才を求める学校の入試は努力だけでなんとかなるものでもなく。
芸術の道はやっぱり入る時からシビアで、当然追い続けるうちはずっとシビアだ。
なんで、それをやっているの?
そんな苦しさがつきまとう芸術の道を、なぜ選び、なぜ歩み続けているのか。その問いに対する解答は、当たり前だけど人によってさまざまだ。
* * *
芸術に向き合うスタンスは、共通点があるようでいてないような、ふわふわした捉えようのないもの見える。
工芸科所属の学生たちへのインタビューをもとにした章段で、著者はいう。
避けて通れない道。
世の中の大半の人はそれを見つけることさえできないのだから、見つけられただけ、幸せともいえるのかもしれない。
けれどそこは、あらゆる意味で茨の道だ。
芸術では食べていけない
アートで生きていくということは、すなわちアートでお金を稼ぐということだが。周知の通り、実際にこの世界で芸術一本で食べていける人はごくごくわずかだ。
インタビューの中からも学生たちの大半は、その現実を十二分に理解していることが(実際に対処するかどうかは別として、芸術の天才たちといえども世捨て人のような思考回路ではないことは確かだった)。
藝大生を取り巻く厳しい現実が、下記のように書かれる。
ここまでその本質のごく一部ながら、「藝大生というもの」を文章で追ってきた読者として思う。
人の満足は他者から測れないものだから、行方不明すなわちマイナスと考えるのも違うかなと思うけど。
そういうことも踏まえてなお芸術と離れられない藝大生という存在は、やっぱり根本的に常人とどこかが「違う」のかもしれない。
覚悟なのか、諦めなのか、そういうことが一切気にならない性質を持っているのか、それを上回る情熱を持っているのか、はたまた単に現実と向き合おうとしていないだけか。
それぞれに心に秘めたものは異なれど、芸術はやはり茨の道だ。
その状況下で気狂いもせずにいられるだけで、藝大生はちょっと常人には理解できないくらいすごい人たちだ。
カバー写真:UnsplashのDan Cristian Pădurețが撮影した写真