知的好奇心がくすぐられ、わくわくさせられる、非常に興味深い本だった。
この1〜2年の間に物理学・生物学・経済学などの書籍を読んできたことで、超素人ながらにミクロ・マクロの不可逆性について類似点や、この世の秩序と混沌について考える機会を得られた。
この世にはまだ解き明かされていない事象が星の数ほどあるのだという気づきから、すべてが片付かない居心地の悪い気持ち悪さと、その真理へ向かう“余地”にどうしようもなく心惹かれる興奮を読書から得ることができた。
ちなみに「複雑系」とは、下記のようなことをいうらしい。
要は、この世に存在するが理論でいまだ説明しきれない事象のことを差していうのだと私は理解している。
この世は(法則として解き明かされているものもいないものも含めて)同じ物理法則が適用されているフィールドで展開されている。地球を含めた宇宙のはたらきも、地球に生きる人間の活動も、すべては関与しあっている。
人類は、主に文字によって前世代の知識を引き継ぐことで、全体の知恵の総量を着実に増やしながら進歩してきた。
20世紀後半、コンピュータの発達により取り扱える情報量が指数関数的に増え、多数の人に認知できる形で明るみに出てくる事象が爆発的に増加するにつれ、ものごと単体への知識の深化だけではなく、“全体”や“相互”の結びつきまでを解き明かすことが自然と必要になってきている。
そのアプローチには分野を超えた連携が必須であり、さらにその解答は古典物理学のように法則などで美しく固定化できないことに研究者たちが気づき出したのが現代の自然科学・社会科学の研究の潮流である(最近の読書から私はそのように受け止めている)。
現代の研究者が、自身が本質的に解決したいと願っている問題解決のために取り扱う情報量は、一人の人間に担い切れる物量を遥かに超えている。だから、さらにその先に進むためにコンピュータや他分野(他の専門家)との連携が必須になっている。
研究分野の垣根を越えて、複雑な現象の根底にあるメカニズムを解明するための組織──そのような取り組みを、実態を伴って行っているのが本書に取り上げられる「サンタフェ研究所」(1983年〜)だ。
本書(日本語訳版)が発行されたのは1996年。著者であるサイエンス・ジャーナリスト、M.ミッチェル ワールドロップが行った研究所の主要メンバーへの取材を元に構成されている。
第一級の研究者たちが集う、まさに「知の殿堂」。生物学と物理学を真っ向からぶつけ合い繋ぎ合わせないと進歩しなかったであろう、現在のAI研究の萌芽ともいえる部分への言及もたくさん垣間見えて面白い。
興味深い点はたくさんあるが、私のnoteでは、
複雑系に取り組みと1996年当時の状況
多分野をまたぐ組織のあり方
という2つのテーマについて、それぞれ書き留めておきたい。
この記事では、1つ目の「複雑系への取り組みと1996年当時の状況」について、本書で気になった箇所を引用しながら記しておく。
※当記事は引用文込みで7000字あります。見出しで興味のある箇所に飛ぶなど、かいつまんでご覧ください。
経済学者ブライアン・アーサーの気づき
固定化できるものなど、この世の「現象」には存在しない。
そのことへの気づきが、まず第一歩だった。
※人物参考情報|ブライアン・アーサー[経済学者](wikipedia)
各々の見方で同じ問題に向き合い、練り上げる
経済学×生物学の思考の交流。
自分の本流から見れば“異質な”思考にすぐに会える、声がかけられる、共に過ごす時間がある……なにかを創造する時は、そういう環境をつくること。そして、双方に理解し歩み寄ろうとする意識があることがとても重要だと思う。
※人物参考情報|スチュアート・カウフマン[生物学者](wikipedia)
突きつめればすべて競合ではなく協力関係
資本主義への理解や、この社会のすべてにつながる考え方。
この世界を(思考主体である私たちは人間なので、主には人間のために)良くしていこうという命題の前では、実は競合というものは存在しなくて、必ずなにかしらの協力関係が成り立つのではないか。
※人物参考情報|ジョン・H・ホランド[物理学者](wikipedia)
複雑は、複雑から生まれるわけではない
物理研究を取り巻く周辺技術や研究そのものの進化により、物質はほぼ極限まで構造を分解することができるようになった。ミクロに分解すると単純化される要素が、相互に関係し始めるととたんに驚くほど複雑な振る舞いを見せる。まったく別物に変身するように。
それは物理の世界だけでなく、他分野においても同様であるらしい。現代の研究者たちが挑戦している、複雑怪奇な問題がここにある。
※人物参考情報|クリストファー・ラングトン[情報科学者](wikipedia)
複雑系とは何なのか
秩序とカオスのはざま、カオス縁にある状態。その複雑さこそが「この世にある証」そのものではないかという発想にカウフマンたちは行き着いた。
しかし思いつきを実証することこそが研究者の仕事であり、使命である。
「きっとそうである」と見えておりわかっているのに、その証明のアイディアを得られないという事態は、恐ろしく悶々とする状況だと想像する。
測定の可能性のアイディアとしてカウフマンが思いついた解決策は、変化の法則が「ベキ法則」に従っているか否かという尺度である。
あらゆる事象は、最大限の安定状態に自らを導く(カオスの縁)。
永遠の安定はなく、臨界が訪れると再び変化の状態が起き、しかし再び安定状態へ自ずと向かう。
複雑系の応用
複雑系を解き明かすことで、何ができるのか。
それは、人類の“宗教・倫理・道徳”といった一見科学とは何の関係もないような問題にも波及する。
模索を繰り返しながら文化は成熟し安定するが、いずれ臨界点を迎えると変化し、新たな安定に向かって最適化の道を歩む。
※人物参考情報|J・ドイン・ファーマー[物理学者](wikipedia)
結果、見えてきたものは
2024年の現在においても本質的な解決は「していない」と。ラングトンはそういうのではないかと思う。
経済学・物理学・生物学・情報科学が進歩していないということではない。それぞれの取り扱うデータは爆発的に今もなお増え続けているし、研究は日進月歩で進んでいる。
世界中がオンラインネットワークで結ばれ、物理的距離をものともしないリアルタイムの対話が可能になったことで、サンタフェ研究所で行われているような分野をまたいだ意見交換・調査・研究は90年代の比にならないほど活発化しているのだろう。
それでもなお、わからないことはわからないまま。
このような永遠にも思える謎が、研究者たちの情熱を常にカオスの縁に向かってかき立てているのかもしれない。どこにも永遠の安定は、ないのだ。