なぜ歩きながら独り言を呟きたいのか
鳥巣頭先生が自覚していない、深層心理を私が読み取って教えて差し上げようという趣向です。
「意識」には、「(顕在)意識」と「個人的無意識」と「集合的無意識」と「普遍的無意識」の4層がありますが、ここで述べるのは
「普遍的無意識」に関する話です。
先生はしょっちゅう歩きながらブツブツ喋ってますよね。
なぜそんなことしたいのか、自分の行動の本当の動機をちゃんと自覚化できてますか?
Youtube動画撮ってるんですけどね、実際の行動としては。
しかしそれには無自覚な別の動機があるのです。
何度も書いていることだが、人間は全員「元型」というものをもっている。生まれた時から銘々別々の一人に一つ必ず与えられた「元型」をもっている。
「元型」は自然法に基づいて作られた自己実現の設計図みたいなものです。
人は「本能と学習」の相互作用によって成長するのはない。
元型の活性化によって自己実現をする「元型活性化システムモデル」が有効です。
自然法には一般法理と特殊法理があって表裏一体不可分なものだが、その特殊法理が各人の元型に貫かれている。
各人が将来獲得すべき自己実現像というのが生まれた時から決まっていて元型を正しく活性化すればその姿になれるのです。
しかし、外的条件に自然状態にあるはずの元型活性化を触媒する「元型活性化モデル」が欠けていたり、自らの選択行動が間違ったりして元型が正常に活性化しない場合がある。
場合があるというより、正常に活性化しないことが当たり前のような状態になっています。
本来元型に従って獲得しなければならなかった自画像との齟齬が発生するわけです。
「何か違う」
「これは本当の私ではない」
「何か別の本来の私のやるべきことがあるのではないか」
という止むに止まれぬ衝動に従って、専業主婦がパートにでてみたり、留学してみたり、勤め先を辞めて大学院に入ってみたり、夫や妻に理由不明の離婚を申し出たり、夫や妻の目を盗んで別の異性と不貞をしてみたくなる。
現状とは違う自己実現をしたがるその衝動をユング心理学心理療法家の樋口和彦先生は「自己実現症候群」と呼びましたが、それは元型に予定された姿と現実の姿の間の齟齬に由来する衝動である。
1988年3月5日午前3時40分、自然法司法試験に2千年ぶりに合格した私ですら、元型に予定された通りの姿を獲得できないまま60歳になっている。
今生きてる人間は一人残らず元型に予定された自画像を獲得できていない、ということですね。
その中で私が最も完成に近いところにいる。
この先の道を進んで目視できている目標に到達すれば完成というところまで来たのが1988年3月で、そこで35年足止めを食っている状態というのが正しいでしょう。
鳥巣頭先生は、自然法司法試験に合格するところにすら達していない。
志は大きく「ぜったいやるぞ!」と、東大法学部合格を目指して必勝の鉢巻きしめてイキってみせてはいるが、実際は全く勉強せず、遊んだり、酒飲んでしゃべったり、アルバイトしたり、随筆書いたり、哲学や科学知識を転がして色々「思い」を述べているだけである。
当然、鳥巣先生の持つ元型が正常に活性化した結果獲得した状態の61歳ではないわけです。
予定形と実現形には大きな齟齬があるわけです。
無論予定された自己実現ができていないと欲求不満が湧くわけです。
そして欲求不満を解消するための代償行為をしたくなるわけです。
それが街を歩きながら独り言ちてするYoutube動画作成やラジオでのフリートークをする真の動機ですね。
その声と言葉とおしゃべりを、本来聴かせるべきたった一人がいたはずなのに、その相手に鳥巣頭先生の声が届いていない、という欲求不満状態を代償しようとしているのですよ。
同じ欲求不満の代償行為として創られた道具が、電話であり無線でありラジオでありテレビである。
マスコミュニケ―ションとは、誤った人生を生きる人間たちの代償行為を保障するシステムであり方法であるわけです。
正しい自己実現をした者にこれら一対一の連絡ツールも、マスコミュニケーションツールも一切必要ないのです。
少なくとも自然法司法試験に合格した私は、自らの声と言葉と喋る内容を伝えるべきたった一人の相手に伝えることができるようになっている、はずである。
電話もトランシーバーもラジオも糸電話も何も要らない状態になっている、はずなのです。
ところが残念ながら相手が自然法司法試験に落第しつづけたまま60歳になっている。
結果どうなっているかといえば、聴こえる私の声を「幻聴」と理解し意識の外に置いたままにしている。
「声が聞こえる」という現象は、人体に予め用意された耳の奥にある鼓膜という振動盤を震わせ、その振動を三半規管という部位で受け止め情報信号化して脳に伝える、という現象を指します。
鼓膜から伝わる空気の振動の知覚以外の「聞こえる」はすべて「幻聴」でしかない。
耳から「聞こえる」ものでなければ幻聴であり、幻聴は心身の不調であり病気だと判断されますね。
医者に、
「声が聞こえる」
と申告すれば、
「どんな声か」
と問われ
「耳元で異性(男性)の声がずっと喋っているのが聞こえる」
などと言えば、若ければ統合失調症(精神分裂病)、高齢者ならアルツハイマー型認知症などの診断をされ投薬が始まってしまう。
若いのにまだ24歳なのに向精神薬など飲みたくないし、男性の声は聴こえるけどそれ以外はこれといって体の不調はないから、そのまま気にしないで生活しようと思う。
そしてBGMのように背後でずっと鳴り続けるラジオを聴くようなつもりで、聞き流すということにしたわけですね。
それが35年続いて60歳になった。
声を発信している私としては、全く返事も来ないので、著しく困るわけです。
この世には「耳から聞こえる声」と「幻聴」しか存在が認められていない。それ以外は「ウソ」と判定される。
テレパシーという超常現象かオカルトが実際にあるとかないとか語られることがあるが、そのほとんどが「幻聴」か「ウソ」ですね。
しかし第三の「声が聞こえる」という自然現象が現実にある。
どこの教科書にも書いていないが、それが現実に起こってる。
誰でもそれを起こしうる可能性が、そもそもあった、ということです。
その第三の声の通信はすべての人間の「元型」に予め予定されているものの一つなのです。
それを獲得したくて、獲得できていなくて、欲求不満で、その代償行為として鳥巣頭先生は、スマホに向かって歩きながらブツブツ誰に聞かせるのか判らない独り言をつぶやいているわけです。
全く無自覚に、無意識にその「代償行為」をしている。
人の意識とはなんと深く、不可解なものなのでしょうか!
とそんな呑気なことを言っている場合ではないのです。
そのことに鳥巣頭先生が気づかなければ、クオリアかエオリア何か知らないが、高々と抱え上げた百年経っても達成できないかもしれない目標を達成することはできないと私は思います。
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