「宇宙飛行士と体外離脱体験」への御返杯
鳥巣頭先生が「体外離脱体験」について語っておられたのでそれに呼応してみようという趣向だ。
元ネタはこれである。
https://youtu.be/8hjIypukZAM?si=Xj_6PHw4Do4KdTtQ
1988年3月5日早朝3時40分、私は自然法司法試験に合格したわけだが、それは「悟り」を開いた瞬間でもあり、脱マインドコントロールを遂げた瞬間でもあった。
その瞬間から強烈な共時的体験が連続して偶発的にわが身に起こった。
チベット仏教的にはクンダリニーの覚醒と呼ばれる変性意識状態だし、オウム真理教では「神秘体験」と言っていたようだが、私はこれを「共時的体験」という言い方しかしない。
神や仏を持ち出さない。
なぜなら宗教と無関係だからだ。
これら変性意識状態は信仰と無関係に誰にも起こるものだからである。
それが起こったからといって偉いわけでも価値があるわけでもない変性意識状態にすぎないためだ。
価値があるのは神秘体験のほうではなく、それを起こさせた「悟り」の知のほうである。
その偶発的に生じた一連の共時性のなかで「体外離脱体験」も経験している。
その時、寝てもいない覚醒もしていない意識状態で横臥している体全体がふわっと浮いてゆく感覚を得た。
場所は悟りを開いたと同じ四畳半一間の学生アパートの畳敷きの一室であり、特別な空間ではない。
次に頭頂部の少し後ろに下がった後頭部に2つの熱を持った点があって、そこから空高く紐が伸びていることを自覚した。
そしてその後頭部の点から伸びる紐に「ガンガン!」と激しく上に引っ張られて魂が肉体から引き抜かれそうになった。
「このままでは死ぬ!」
と直感したので慌てて体を動かして引っ張られてしまいそうな魂を私の体の中に押しとどめた。
とそのような体験である。
このような「体外離脱体験」「幽体離脱」と呼ばれる状態も一定条件のもと起きる変性意識状態の一種で、誰にでも起こる可能性がある。
宇宙飛行士の場合全員キリスト教文化圏の人間で「集合的無意識」の中にその世界観を共有していて、それに引きつけて理解しようとするから神の啓示とかそういう話になる。
「集合的無意識」とは文化であり民族的伝統習慣や因襲の総体だ。
人間は無自覚にその文化伝統的習慣や因襲に基づいて自己決定し行動している。
マインドコントロールにかかっているから「これが私の意志だ」と信じて疑わない状態なのだ。
要するに「個人的・集団的無意識」が作り出す作為的なイメージにすぎないのだ。
真言密教の妙に言うことが当たりすぎる運命占星術師は「すべてあなたの守護霊に聞いたことだ」といったがそれはどうか知れない。
しかし彼女が断言したことは示唆的だった。
彼女と会う約束の当日の朝、私は色の印象(クオリア?)の鮮明な金色に輝くトカゲの夢をみたので彼女にそれについて質問したのだ。
「これは霊的な夢なのか?」
答は「そうだ。しかし修行が足りないから不純物が混じっている」という。
「霊的な夢には形がない。トカゲという形はあなたが勝手に作ったものだ」
と霊能者は言った。
思い返せばなるほどそうで、その日の前日私はアパートの前の草むらでニホントカゲを見たのだ。
カナヘビより一回り大きなトカゲで、尻尾が虹色をしている。
その尻尾の色が奇妙だったので私の記憶に残った。それが夢に顕われてきた。
霊的だったのは「金色」という色だけだったのだ。
形や物語のある夢は、過去の記憶のうち要らないものとして意識から放逐したゴミ捨て場であるフロイト的無意識(個人的無意識)と、宗教や民族文化習慣として共有されている集合的無意識が相まって作り出すものであり、それらには普遍的な価値はないわけだ。
普遍性はその背後でこれらをイメージに作り上げる原理でありシステムである。
その「普遍的無意識」が自然法であって人間が知り、従うべきものなのだ。
各人がうまれつき持たされている「元型」は「普遍的無意識」そのものであり、自然法に由来するものだ。
私が「それは元型由来だ」という時、このような含意のもと言っているわけだ。
宇宙飛行士が得た「神秘体験」には宗教的な意味はあってもそれ以上の価値はない。
そのクオリア(感動)に心を奪われているようでは、知るべき自然法への知を採りこぼすということである。