noteをやってみよう♬
今、真っ白なnoteを見て、何を書けばいいのか…と自然と眉間にしわが寄ります。あんなに書きたいと思って始めたものなのに、何を書いたらいいのか分からないというか、何を残していきたいと思っていたのか、分からなくなってしまいました。タイトルを見れば分かるように、「まずはやってみよう」の勢いで始めたものの、やはり、自分の書いたものが人からどう思われるのかが正直気になる。自分の思考を整理したり、リフレクションをしたりするだけなら、使う予定もないのに騒動買いしてしまった新しいノートや日記帳にでも書いたらいいと思う自分もいるけど…noteに書きたい。そう思うからにはやっぱり意味がある。
一つは、自分が考えたことや感じたこと、学んだことを自分の言葉で綴っていきたいと思ったから。大学や大学院でのレポートや論文、スライドを使っての発表などでは、相手が理解しやすいように論理的で簡潔に伝えることが求められます。でも、万人受けしやすい言葉や一般的な表現は、その言葉や表現の裏にある決して同じではないものが同じものとして伝わってしまう怖さがあります。言葉にしたいけど、できないもの、言葉にしてしまうことで見えなくなるもの、こぼれ落ちてしまうものがあるように思います。そんなはかなく目に見えないものをできるだけ大事にしながら書くことがnoteなら許されるのではないかと思いました。
二つ目は、自分だからこそ語れる経験や言葉に出合いたいと思ったから。私は、誰かが語る姿を見たり、語る言葉を聴いたりすることが好きです。向かい合う相手が自分の考えや思いを自分の言葉で語る姿はとってもかっこいい。キラキラしています。その方々は自分の表現を持っている。例え、誰かから「長い」、「意味が分からない」と言われようが、その瞬間に自分自身が語りたいと思ったことを残していく。自分の言葉で語ることは自分を生きることです。noteに綴っていくことは私だからこそ語れる経験や言葉と出合うことだと信じています。だからこそ、自分の経験やそこでの感情、思考に素直に向きあい、それを丁寧に言葉にしていけたらと思っています。
三つ目は、「やってみたい」と思ったから。達成したい目的のために何かをする方がいいという価値観に囚われてしまっている自分がいるような気がします。もちろん、目標を見据えた行動であることはとても大事なことです。でも、「したい」という欲望のままに何かをすることがあってもいいのかなと思いました。「しなければ」、「すべき」ではなく、「したい」と思うことで日常が満たされている方がワクワクしませんか。そんな日常を自分からつくることは意識次第でできるような気がします。もちろん、「しなければならない」ことがあって、「やりたい」、「したい」ことができないことのほうが多いです。でも、「したい」ことがあることから、「すべき」、「しなければならない」日々をもときめくものにできるのではないかなと思いました。
2022年11月24日から始まる私のnote。
どんな言葉でどんな歩みを綴るのか…先は見えていませんが、見返したときに、自然と口角が上がるようなnoteになったらいいなぁと思っています。今日も一日楽しかったです。お疲れ様でした。