「幸せになる勇気」
「こういう性格だから
ああいう性格だから」変わらない、
というのは自他ともになぜか根強いですね。
「性格のせい」にしておけば、
「しゃあないなあ」とゆるされたり、
自分をゆるせるからなのかな。
「世界観」というとどこか大仰だけど、
人格とか性格とか、規格とか「格」は、
気高い感じがして変わらなさそうな一方で、
「観」は、
価値観、人生観など、「観る目」なので、
変えられそうな気がしてくる。
置き換えるだけっていい。
外的要因さえ、「こんなわたし」と
決めなくていいんだって、言われると安心です
「外的要因(そのもの)は、変わらないもの」
と教えられ刷り込まれてきたけれど、
「見立て」を変えれば、
「こんなのもわたし」と、そのわたしも
あのわたしも、わたし、といろんなわたしを
認めてあげられそうになる。
そしてそれができるのも、わたしだけ。
選んだ覚えはないんですけどね。
覚えがないうちに、すりこんでいるから怖い。
「不幸であること」を選んでいたほうが、
「だからしゃあない」となって楽だからなのか
しらずしらずに、選んでる。
選んでることに気づくことからはじまる。
10歳は絶妙です。
わたしも10歳だった気がします。
子供から大人への入り口は不安だし、
不安定だから「自分を規定」しておいた方が、
楽なんですね。
自分を守り生き抜く知恵でもある。
42歳になっても、青年から中年の過程で
悩みは尽きず惑の連続の中でら
「自分デフォルト設定」しておくと楽。
つど、迷わなくていいんですね。
ところが、
自分を守り生きやすくつもりが
自分を縛る習慣にもなっている
変わる決心より、変わらない決心。を変える。
楽なんです。
新しいことを選ばずに済むならば、楽。
それがたとえ、このままじゃいやだ、
と思う自分に対してであっても。
幸せになる勇気。
嫌われる勇気、と思って読み始めたこの本、
でしたし、嫌われたくないなあ、と
思ってたのですがむしろ、幸せになる勇気、
なら一歩踏み出してみたくなりました。
今日もお付き合いくださり
ありがとうございます
最近スマホのカメラで、本の文章を照らすと
枠が出て、文字をコピーしてくれる機能があり
とても便利だなあと思い活用するのですが。
誤変換があるので注意です。
勇気が、「男気」に変換されていました。
男気を見せる、って時代に合わないのかも
しれませんが、そんな気概でいたいなあと
思います。
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