自分に踏み込んで、自分との良い関係をつくる
きのう初めて、
「自転車用ヘルメット」をかぶって
自転車に乗りました。(努力義務)
「帽子みたいなやつ」にしてもらえると
かぶりやすくなりますね。
していないことが当たり前だったのに、
していないと不安になり有難いものに、
変わるから不思議です。
「子どもには、しなさいという」
ことを
してないこと。またはやってしまってること。
ほんとうはした方がいいことって
他にも色々ある気がします。
先日、あまりにも上の子が下の子に
「負けたくないから、ゆずらない」
ので、
「ゆずることを覚えなさい」
とゆいました。
ゆいました。
勇気がいりました。
というのも恥ずかしいのですが、
親御さんなら普通にいう
ことなように思いますが、
私的には結構踏み込んでゆったなあ、と。
チームメンバーや、
我が子にでさえ「踏み込んで」
「こうしたほうがいい」と
アドバイスや
ときに
「こうすべき」などの訂正。
生きかたや
ありかたについて
指示、示唆することはありませんでした。
ないというか、できなかったです。
それはなんでかな?と思うと。
「自分が踏み込まれたくない」から。
なんだなあと。
そっとしといてほしい。
もっといえば、
人の指示は受けたくない。
さらにいえば、したいようにしたい。
だからー。
「自分も、人に言わないし求めない。」
そんなところがあったかもしれません。
すごい身勝手なことでもあるなあ、と。
とても共感して読みました。
「関係密度」ということが
↓の本にかかれてあり、
チームメンバーとの「密度」の大切さを
説かれています。
関係の
・頻度
・深度
・依存度
でもなく、「密度」。
というのが、すてきだなあと。
ひるがえって、ヘルメットの話にもどりますが
「人に求めて、自分に求めない」
ものは、
「自分にも求めてみる」と、拓けるものが
あるかもしれない
「人に求めず、自分にも求めない」
ものは、
逃げてるだけなので、まず自分に求めてみる。
「自分と向き合い、自分に踏み込む」
「自分との関係密度を、濃くしてみる」
そんなプロセスを、このnoteをはじめて
50日目で、体感しています。
「この気持ちは、どんな体験からきてるのか」
それは、ときに、つらいプロセスだったり、
ときに、たのしいものでもあります。
自分に対して、当たり障りなくすごしてると
人に対しても、当たり障りなくすごすことに
なり、なんだか虚しくもなる。
自分に対して期待できてこそ、
人に対しても期待できる気がする。
その先に、
noteが、自己との対峙にとどまらず、
人に助けを求めたり、人を助けられるものに
繋がってゆく気がします。
まずは、
「あ、いま、そこ、自分の気持ち、
隠そうとせんかった??」という
場面に出くわしたときに、
そのこと自体は否定せず、肯定をして、
受け止めるところからはじめてみます。
そして、
「子どもにいうことを、自分にも問うてみる」
ところに、
自己発見。
そして、
「本当に自分がやりたいこと」
を見つけていきたいです。
きょうはとくに、まとまりなくつらつらと
かいてしまいました。
「100日目に副業のタネをみつける」
という目標まで、折り返しの50日。
今日もお読みいただいてありがとうございます
ヘルメットのような努力義務が、
新しい気づきを届けてくれそうです。