自由を選択する自由
以前、アメリカ在住の日本人の友人が
「新幹線切符には日本語しか書いてない」
と言っていたことを思い出しました。
たしかに。
社内アナウンスは今でこそ、私鉄でさえ、
英語が流れるのが当たり前になってきましたが
どことなく不思議な感じがします。
(おもてなしとしてとてもいいことの前提で)
アメリカで切符を買ったら日本語が書いてあり
車内アナウンスが日本語だったら・・
どことなく、びっくりします。
この「差」は、きっと、
100年後も変わらないのかな。
100年前からしたら日本は変わりました。
たしかに、自由席を英語で?って悩みます。
指定→リザーブ(予約確保)っていうのは、
言われてみるとわかるけど、
パッとでてこないよなあとも思います。
日本語で指定って言うと、
かなり強制感とか、「おれはここにするぜ」
という強い意志を感じますが、
リザーブは、
「とりあえずここを抑えとく」
というゆるい感じが残ります。
フリー、とか、フリーダムって
言ってしまいそう!
ノンリザーブ(予約確保しない)っていう
発想がそもそもでてこないし、
英語的な発想がして、面白い。
別の言葉をつけなくても、
ノン。と反対、否定にしておけば
応用力があるし、
「ノン」というのが苦手な私からすると、
「あえて選ばないんだぜ俺は」
という強い主張を2文字(英語で3文字)で
表せるところをうらやましく思ったりします。
あなたは、指定して生きる道を選ぶのか、
それとも「自由」な道を選ぶのか?
異国の地で、新幹線の切符を買うだけのつもり
が、人生の生き方を問われるなんて、と。
リザーブする生き方とは、
あるすでに固定された席があり、
その枠組みの中で選択していく生き方。
自由な生き方とは、
その枠組みにとらわれない生き方。
とでもいえば、大袈裟でしょうか。
「わたしは自由を選択する」
「自由というものを指定する」
とも見えてきます。
そう考えると、
その日、その時の気分で、
窓の外の景色をみたいなと思えば、
窓側の席を。
新幹線に乗る人たちの機微を観察したり、
通路側の人に左右されず、
トイレに自由に行きたいとか、のときは
通路側を。
そうして自分の席を、自由に選ぶと言う
「指定」をすることもまた、
魅力的にみえてきます。
でも実際には、満席になる不安があるので、
指定することで、安心を買うのはあります。
指定席と、自由席の値段の差は安心の差で
あって、魅力の差でいえば、自由席の方が
お値段以上かもしれません。
(ちなみに私は、始発駅である新大阪駅からは
自由席を選びます)
人生の行き先の選び方は、
リザーブかノンリザーブかではなく、
選択する意志を持つことからはじまる。
フリーダム切符。
自由とは、選択できることだ。
今日もお付き合いくださり
ありがとうございます。
窓口で戸惑う駅員さんと、
外国人観光客のやりとりがエッセイになる、
伊坂幸太郎さんの、見ている世界が、
こうして、ほんのすこし見させてもらえるって
いうところが面白いし、
伊坂さんの日常をみる自由さが魅力です。