自分の人生は自分で考えて自分で決めて「いい」んです。って。
役に立たなそうなことほど、役にたつ。
逃げるは恥だが、役にたつ。
僕がnoteを書く理由って、ここなんだろうなっ
て思います。
教養というたいそうなものではないけど、
書かない時より、書いてる方が、
「他の見方・考え方があり得る」んだなって
思えてきます。
自分が書いた文章が、まるで他人が書いたよう
に見える時があります。
ああ、こんなこと思ってたんだな自分、とか
いつも同じようなことを書いてるのを見ると、
「それもあるし、それだけじゃないし」とか
自分にツッコミいれてみたり。
それはまるで、自分の声を、録画で聴いた時の
ような、すごい違和感のような。
(あれは本当鳥肌がたつので、できればききたくない)
それに、書くだけでなく
noteを読むことも。
普段の生活や、仕事では出会わないだろう
方々の、ほんとうさまざまなジャンル、
趣味、嗜好や思考に触れて、
いろんな考え方を知ります。
それは、図書館で読み漁るのともちがうし、
本屋さんで表紙や帯から感じ取るのともちがい
言葉にある背景が見えてくるからです。
「数日連続して読む」
「余白がある」(ブログ特有の)
「暮らしが見える」
からもあるし、
なにより書き手の方々が、
赤裸々にみえるからかもしれません。
文章を書く、ことに今年からなってみて、
文章を書く、本ばかり読んでいます。
それはそれで、とても役に立つし、
即効性もあるし、なにより「密着」してるので
どんどん吸収されます。
けど、読んでるだけで快感にもなります。
勉強してる気に、なるからです。
なので、できるだけ遠いジャンルにゆきます。
来週は落語を生まれて初めて見たり、
先日は稲刈りしたり、
週末は中学受験の話をききにいきます。
これは生活よりだけど、
「理論」も学びたい。
新しい視点は、
新しいところにいくだけでなくても、
落ちてたりします。
長年付き合ってる人であっても、
隠れた一面や趣味があられたりして、
その人を見る目が加わります。
自分自身を見る目も加わります。
これが生きてる感じがします。
わかりやすくないもの、にあえてとびこむ。
自分の人生は自分で考えて自分で決めて
「いい」んです。ってところがはじまりな
気がします。
教養は、尽きない。
書いてなかったら、出会おうともしなかった、
世界が、書くことで、広がりました。
お読みくださる方がいるおかげです。
いつもありがとうございます。
毎朝歩く道の橋にかならずいるアオサギです。
自分の人生は自分で考えて自分で決めて
「いい」んです。
ってゆってるみたいに、いつもここにいます。
鳥は、止まりたいところに、
飛びたい方へ、決めてるんだなあ、と
羨ましくもなる通勤路です。