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「自分の顔に責任を持つ」


仕事がら、顔のきれいな人にはたくさん会う。でも、その人の笑顔からなにかほんとうに美しいもの、温かいものが発散されているような人にはなかなか会わない。いつもきれいなことをきれいに考えていないと、あんな表情にはならない。人のことを考え、人によかれと思って行動していないと、なりえない。その面影はすみれの花みたいに、私の心に残っている。

「人生の旅をゆく2」
よしもとばなな

顔、よりも、笑顔にあらわれる。
いろんな顔以上に、いろんな笑顔がある。

つくり笑顔
ふくみ笑顔
口は笑ってても目が笑ってなかったり
というのはすぐ分かる。
(わたしはうまく笑顔になれない)

だからこそ、
美しい。温かい。笑顔にそれが溢れている人は
とても魅力的に見えるし、心に残る。
日頃の一挙手一投足のすべての所作が、
その笑顔にあらわれる。

思い出すのは西田敏行さんの笑い顔。

生きていくということは、少しずつ汚れをためていくことかもしれない。少しずつずるさをためて、だんだんくすんでいくことなのかもしれない。それでも、中年すぎると経験をくくりぬけて強く優しくなり、だんだんきれいになっていくものもある。いろいろな人たちの若いときからの写真を見ると、だいたい二十~三十代に暗く重い、よけいなものをいっぱい抱えている顔をしている。みけんのあたりに険があり、自分のことばっかり考えている顔だ。

同上

100%pureなのは赤ちゃんくらいかな。
生きていくために必要な、
泥にまみれるような
がむしゃらな汚れであったり、
ひたかくす我慢、があったり、
しだいに
きれいに笑えなくなっていく。

20代も30代も、そういえば笑えてなかったな
一所懸命といえばそうだけど、
まわりがみえてなかったり、
じぶんがみえてなかったりして、
「とっつきにくい」とか
「なに考えてるかわからん」などと
よく言われた。
(10代は10代で、「無表情な人」第一位、というなんとも不名誉?なのをクラス文集のアンケート結果で獲得したけれど)

それが三十代から四十代になると、人によってはまだ重い顔をしているのだが、たいていの人がすっと抜けた顔になる。ぱっと開けた顔、こだわりのない、なにかをぎゅっと握っていない顔だ。きっとその顔はだんだんにもっともっと抜けていって、人は天にかえっていくのだろう。

同上

40代から変わった気がする。
とくにnoteを書いてから。
すっと抜けるまでにはもうあと、
なにかが足りないというか、
なにか余分なものを抱えている気がするけど、
たぶんもう、あとすこし。

自分の思い、自分の悲しさ、わかってほしい気持ち、欲しい気持ち、そういうものを自分の中でぐっと解決して、自分だけをいちばんにしていない時間が多くなればなるほど、その上で自分というものによくなじみ、自分のだめなところも受け入れて、それなりに自分をだいじにしている時間を持っているほど、人はいい顔になる気がする。いつかもちろん私も死ぬだろう。

同上

他人を受け入れるより
自分を受け入れるほうが難しいなあと
最近思う。

他人との約束は守れても
自分との約束は守れない。

他人との時間の方が長くて、
自分だけの時間の方が短い。

徐々にでも、逆シフトしていくことが、
いい顔になる。

人にいい顔するのではなくって、
自分にいい顔しよう。


どれだけの小説を残したかでもなく、どんなに有名になったかでもなく、少しでも抜けた顔で、あの美しい人みたいな目をして、こだわりの分量をなるべくゼロにして去っていきたい、そう思う。

同上

こだわりの分量は
人に対してじゃなく
自分に対しての分量をふやしていく。

自分の生活について、どこまでが外から思い込まされているものなのか、そうでないのか。私は時間をかけてひとつひとつ考えていったし、今も考えている。備えすぎてもだめだし、見ないように目をふさぎすぎてもだめだ。

同上

外からか内からか、思い込みか
思わされる込みかわからなくなる。
その境界線にあるものに、
目を背けないこと。


自分だけのためにカスタマイズする自分の人生。その過程で気づいたいろんなことに私ははげまされた。筋肉といっしょで、心も毎日鍛えれば、強くなっていくのだ。人に力をあずけてはいけない。力は合わせるものであって、あずけてはいけない。どんなに尊敬する人でも、愛する人でも。

同上

力は合わせるものであって、
あずけてはいけない。

あずけていると、自分がカスタマイズされて
しまう。自分でカスタマイズしていく人生は
自分を自分にあずける。


一歩外に出たら、いや、実はうちにいても、人生はいつどこでなにがあるのかわからない。このあいだ会えた人ともう会うことがないことなんて、あたりまえのことなのかもしれない。かといってぎゅっと握っていたら、なにもできない。そのさじかげん。風に乗る、波に乗る。判断する。そんな本能をいつでも研ぎすませておく。ぎらぎらと、たまにはのんきに。

同上

ぎらぎらのんき。

アンバランスな時、顔にあらわれる。
バランスが良い時に、笑顔にあらわれる。

50代への準備。

「40歳になったら、人は自分の顔に責任を持たねばならない」 

エイブラハム・リンカーン

のだった!

今日もお付き合いくださり
ありがとうございます。

運動会の子供達の顔は溌剌としていた。
それを見る親たちの顔は笑顔だった。

入場門と退場門のそれぞれの顔の違いが、
またいい。
会社の通用門でもそうありたい。

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