人生の方向幕〜スキ発夢行き〜
この前文に、
「スポ根」という生き方が書かれている。
昭和生まれの私も、
「がむしゃらにがんばる」根性論ー
部活では水も飲まず、ひたすら走るー
体育会系の部活で生きてきた。
だから、
仕事でも、子育てでも、生き方でもこの
「がむしゃらにがんばる」が根付いている。
だから、
仕事でも、子育てでも、生き方でもその
「楽しむ」というのは逆張りで、
心地よく刺さる。言葉としては。
苦しくても、苦しい方に目を向けず楽しむ。
スポーツでも、オリンピックなどでも。
「楽しむ」こと。「結果として勝つ」。
ことが尊ばれるようになってきている
社会の風を感じる。
「楽しむ」ようにすると、
案外楽しくもある。実際に。
管理職としての仕事においても
メンバーに「仕事を楽しむ」と伝えることは、
どこか心地よく、語る自分も楽しめる。
が、
「ほんと?」とおもうことはある。
楽しくても成果がでない。
楽しくても成長しない。
楽しくても、やりがいはない。
本当に本当に辛い仕事を
最前線でメンバーが仕事をしている時に
「楽しもう」という不一致はないのか?と。
「自分を無理やり楽しませる」のは、
本当に楽しめないんでは?と。
「その楽しさの先に目標や
夢の達成はあるのか?」
いや、なかったです。
なかっだというか、
忘れたり、なきものにして、
楽しむことが目的になってた??
方向幕、っていうんですね。
「回送」という方向幕を時々見ますが、
「出発地から目的地まで、だれも乗せずに
運行している状態」
だそうです。
まさに、
そんな回送チームになってないか?
と。
楽しむことを目的にしたチームは、
気づけば誰も乗ってないバス。かもしれない。
楽しむことを目的にした自分は、
気づけば自分が乗ってない人生かもしれない。
人生の方向幕は、
回送ではなく、
好き発、夢行き。
バスも、ずっと走ってるわけでない。
ずっと回送でも、ずっと行き先が書いてるわけではない。
車庫に入り、ガソリンを入れ、洗車される。
きょうを立ち止まり、明日に向かう。
方向幕は、ロールする。
そしてまた、好き発夢行きの旅路を楽しむ。
きょうもお付き合いくださりありがとうございます。