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人生の方向幕〜スキ発夢行き〜



「楽しんでやっていたら、 いつのまにか周りを巻き込んでいて、 みんなも一緒になって楽しんでやってくれて、 気づいたら、こんな成果が出ていました」
という行き方がリスペクトされる。(現文ママ)

「おとなの小論文教室」山田ズーニーさん

この前文に、
「スポ根」という生き方が書かれている。
昭和生まれの私も、
「がむしゃらにがんばる」根性論ー
部活では水も飲まず、ひたすら走るー
体育会系の部活で生きてきた。

だから、
仕事でも、子育てでも、生き方でもこの
「がむしゃらにがんばる」が根付いている。

だから、
仕事でも、子育てでも、生き方でもその
「楽しむ」というのは逆張りで、
心地よく刺さる。言葉としては。

苦しくても、苦しい方に目を向けず楽しむ。

スポーツでも、オリンピックなどでも。
「楽しむ」こと。「結果として勝つ」。
ことが尊ばれるようになってきている
社会の風を感じる。

けど、「楽しい」にアンテナをはり、 まるでラジオのチューニングを合わせるかのように、 「楽しい方へ、楽しい方へ」と、 心とカラダをコツコツ調整していったら、 運動が毎日続くようになった。

同上

「楽しむ」ようにすると、
案外楽しくもある。実際に。

管理職としての仕事においても
メンバーに「仕事を楽しむ」と伝えることは、
どこか心地よく、語る自分も楽しめる。

が、
「ほんと?」とおもうことはある。
楽しくても成果がでない。
楽しくても成長しない。
楽しくても、やりがいはない。

本当に本当に辛い仕事を
最前線でメンバーが仕事をしている時に
「楽しもう」という不一致はないのか?と。

「自分を無理やり楽しませる」のは、
本当に楽しめないんでは?と。


「でも、なんかポッカリ忘れものをしたような」
そんな感覚がずーっとあった。 なんだろう、なんだろう? と違和感を抱え続けたはてに、 こんな問いに出くわした。

「その楽しさの先に目標や夢の達成はあるか?」

同上

「その楽しさの先に目標や
夢の達成はあるのか?」

いや、なかったです。
なかっだというか、
忘れたり、なきものにして、
楽しむことが目的になってた??

そこで私はコワゴワ、 この数年、自分が乗って来た人生の 「方向幕」を見るようなことをした。

方向幕(ほうこうまく)とは、 バスなどの正面に「新宿」行きなどと書かれている 幕のことで、行き先などを表示する。 英語でRollsign(ロールサイン)

同上

方向幕、っていうんですね。

「回送」という方向幕を時々見ますが、

「出発地から目的地まで、だれも乗せずに
 運行している状態」

だそうです。

まさに、
そんな回送チームになってないか?
と。

楽しむことを目的にしたチームは、
気づけば誰も乗ってないバス。かもしれない。

楽しむことを目的にした自分は、
気づけば自分が乗ってない人生かもしれない。


楽しくやるのは、楽しく生きるためではない。

「自分の想う道へ進む!」

「心が向かう行き先へちゃんと行けるようにする!」

っていう大前提があって、

同上

人生の方向幕は、
回送ではなく、
好き発、夢行き。


いま、目の前の楽しさに乗っかろうとする時、 その楽しさの先に何があるか? 行き先が肝心だ。

「心が向かう行き先か?」

立ち止まって、心に問い、 方向幕を確認しよう、と私は思う。

同上

バスも、ずっと走ってるわけでない。
ずっと回送でも、ずっと行き先が書いてるわけではない。

車庫に入り、ガソリンを入れ、洗車される。
きょうを立ち止まり、明日に向かう。

方向幕は、ロールする。

そしてまた、好き発夢行きの旅路を楽しむ。

きょうもお付き合いくださりありがとうございます。

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