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白か黒か?グレーも楽しむ


二つの対立した概念でものを考える傾向があります。
たとえば、きれいに対して汚い、白に対して黒、善と悪、ー中略ー といったように二つに分けて考える癖があるんじゃないかな。物事を二つに分けて考えることは、西洋人の思考法で、たいへんわかりやすい。

「自分づくり―それぞれの“私"にある16の方法 」
遠藤周作さん


陰キャと陽キャ
理系と文系
好きと嫌い

たしかに、いっぱいあります。
自分でも、無意識に分けて、
人に対して、自分に対して
便利だからと使っていたなあと。

なんでなんでしょうね。

こうするとわかりやすい、のは、
たしかなのですが、
わかりやすいと、なにがいいのか?

つまり、これは二分法と呼ばれる考え方

これが西洋人の思考の特徴であって、
西洋の学問なり生活を向上させ、発展させたもとになっているんじないかなと思う。

同上

学問、生活向上。

「発展」。

分けると解る🟰「分解」
と言われるように、

勉強においては効率的におぼえられそう。
生活において、色んなことを決めやすそう。
仕事する上で、ロジカルに、説得力が増し、
相手の課題を解決しそう。

そしてそれは、
人類の発展に寄与したと。
うん、わかる気がするけど、
なんかひっかかる。

しかし、最近、ぼくはこの二分法に懐疑的になっている。つまり、物事を黒か白かと割り切らなくてもいいんじゃないか。その中間には灰色があるという考え方です。

同上

グレーってありますよね。

白黒つけたくなるし、
白黒つけた正解を求められるし、
勝利か敗北かって決めたいのが
人類の性かもしれませんけれど、
グレーなことのほうが、むしろ多いのでは?

それを白黒はっきり無理やりにしたら
どうなるんだろう。

そこで、ぼくは二分法ではなく、三分法の生き方みたいなものはないかと考えた。
人生の幸福、不幸を例にとっても、実際、心の底から不幸だと嘆いている人は何人かいるだろうか。
普通の生活を送っている人の大半は、半幸福半不幸の状態だと思う

同上

幸福か幸福でないかー。
ではなくって。

半分ずつで、ふつう。
幸福と、不幸の間に暮らしている。

幸福だけを求めると、不幸が目立ち、
なんだか不幸な気がしてくる。

「グレー」って言葉も、
否定的にとられることも多いです。


グレーを楽しむ日本でもいいんじゃないかな。
日本といえば大袈裟だけど少なくとも自分は。

外国の大きな邸宅に行ってみると、建物と庭が完全に分離されている。いわば二分法の世界になっていることに気がつきます。
が、日本の伝統的な屋敷には、家と庭の間に必ず縁側があるね。濡縁と呼ばれるものがこれです。これは家の一部だけれども、屋根の外に出ているので、完全な屋内とも言えない。一方、庭の付属物かというとそうでもない

同上

建物と庭を完全に分離させないで、その境界線をあいまいにすることが日本人の好みといえる。

同上

無理しないほうが、いいんかもしれませんね。
日本の曖昧さのいいところに、
それもまた固執しなくてもいいんだけど、
あいまいな境界線にこそ
趣を感じられるこころの余白はほしいな。

きょうもお読みいただきありがとうございます

写真は、東京の湾岸エリア
タワマンです。
異世界でした。
西洋か東洋か、その間か?
という3択でもなくて、
混ざり合うという第4の選択も
あるかもしれないなあ、と思いました。

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