「笑っていいとも。」
人の悪口を言ったり、愚痴をこぼしたりする
ことはイケないことなのか、そうでないのかは
永遠のテーマだ。
悪口はいけない。
けど、愚痴を「こぼす」くらいの、
ことはむしろ、言える仲間がいたほうが、
いいのではないか。
世間に「散らす」愚痴はよくないけれど、
抱え込んで我慢するよりは、
愚痴もまた希望の種かもしれない。
腹を割った関係といえば聞こえはいいけれど、
傷つく、腹が立つこととイコールなのかどうか
似たようなことで、
「歯に衣着せぬ」言葉というのは、
比較的受け入れられて、
あまり人が傷つく、腹が立つという印象はない
腹を割りあえることは理想だけど、
それは「傷つかないように」本音が言えて、
相手への尊厳(いま風に言えばリスペクト)が
大前提としてあって、互いの違いも認め合う
信頼関係がある。
気がする。喧嘩しなくていい。
絶妙なシステム。
自分も体育会系のバスケ一筋30年だけど、
上下関係の良さも、嫌なところも、経験した
それがまた学生のみならず会社や日本社会に
あることも経験した。
だらっとした関係って、いい。
家庭も社会もメディアも政治もなんとかも、
キリっとしている。いつの頃からか。
それは、「短期決戦」であり
「成果至上主義」であり、失われた30年?
を取り戻すべく血まなこな風潮。
笑っていいとも。
という時点で、もうユルユルだが、
この30年の逆を走る「得にくい30年」の
象徴でもあったのかもしれない。
その時分を学生と社会人前半で過ごした私には
見得にくいものでもあるが、
100年単位で見たら、
キリっとよりダラっとほうが、
長いのかもしれない。
長く得がたいのかもしれない。
人生も、たぶんおなじ。
この話をされた番組かはわからないけど、
香取慎吾さんのSMASTATION、で
映画を評論する稲垣さんの話は、
語る姿は、よく覚えている。
中身は覚えてないけれど。
やってそうだ。
50年、いや30年前のやっていたことが、
「時代錯誤」だった、というのは、
「不適切にもほどがある」のドラマのヒットにも現れているのではないか。
そして当時は誰も疑うことなく当たり前で、
そこに自分も平然と暮らしていた事実。
なにがきっかけか、
ひとつではないんだろうけど、
どこかで誰かが時代の風を吹かせたんだ。
それはたとえば、
「ありきたりな」感想ではなく、
どこかのだれかの
「愚痴っぽい本音」か、
「歯に衣着せぬ」感想か、
あるいは、
「先制攻撃」の蓄積かもしれない。
そしてそれは、キリっとしたものではく、
ダラっとしたもののほうからこそ、
微風の台風が起こしたものかもしれない。
北風ではなくそよ風になりたい。
SMAPが100年後なら、
私は、1000年後からどう見えるか、
まで飛ばさないといけないけれど。
30年後からみて?
と思うと、せめて自分の価値観や、
行動に関しては、違和感を持っておくように
したい。
30年後も、先輩風だけを吹かすわけには
いかない。
北風は太陽を認め、
太陽は北風を認め。
その力を合わせたら、
キリッともダラっとも、ちょうどいい、
塩梅になりそうだ。
今日もお付き合いくださり
ありがとうございます
いつの時代も、「笑っていい」友の存在は、
かけがえのないものだなあと、思う。
そう思いたい。
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