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「笑っていいとも。」


百年後の笑っていいとも
そういえば、吉田くんの周りの人たちって、誰かの悪口言ったり、愚痴こぼしたりしないよね、と行きつけの飲み屋のママに言われた。友人知人の顔を思い浮かべてみたが、確かにそういう人が多い気がする。もちろん僕自身は人の悪口を言ったり、愚痴をこぼしたりする人間なのだが、そういう人たちにいつも囲まれているせいか、その手の話をするチャンスがない。

「泣きたくなるような青空」
吉田修一さん

人の悪口を言ったり、愚痴をこぼしたりする

ことはイケないことなのか、そうでないのかは
永遠のテーマだ。

悪口はいけない。
けど、愚痴を「こぼす」くらいの、
ことはむしろ、言える仲間がいたほうが、
いいのではないか。
世間に「散らす」愚痴はよくないけれど、
抱え込んで我慢するよりは、
愚痴もまた希望の種かもしれない。

あまり世代論は好きではないが、僕らより一世代上の方々には先制攻撃が得意な人が多い。初対面で、まず相手が一番傷つくようなことを言う。言われた相手も腹が立つから言い返す。その後ああでもないこうでもないと会話は白熱し、おそらくこの状態を互いに腹を割った関係と呼ぶ。

同上

腹を割った関係といえば聞こえはいいけれど、
傷つく、腹が立つこととイコールなのかどうか

似たようなことで、
「歯に衣着せぬ」言葉というのは、
比較的受け入れられて、
あまり人が傷つく、腹が立つという印象はない

腹を割りあえることは理想だけど、
それは「傷つかないように」本音が言えて、
相手への尊厳(いま風に言えばリスペクト)が
大前提としてあって、互いの違いも認め合う
信頼関係がある。

気がする。喧嘩しなくていい。

体育会系の先輩後輩の関係なんて期間が決まっているからどうにかこなせるもので、一年間我慢すれば後輩ができ、二年経てば面倒な先輩も卒業するように、とても公平なシステムの上で成り立っているから可能なのではないだろうか。

同上

絶妙なシステム。

自分も体育会系のバスケ一筋30年だけど、
上下関係の良さも、嫌なところも、経験した
それがまた学生のみならず会社や日本社会に
あることも経験した。

もちろん体育会系のキリッとした関係の良さも知ってはいるが、期間限定でないのであれば、もう少しだらっとした関係の方が長続きするのではないだろうか。
だらっとした関係で長続きといえば、今年「笑っていいとも!」という番組が終わった。

同上


だらっとした関係って、いい。

家庭も社会もメディアも政治もなんとかも、
キリっとしている。いつの頃からか。

それは、「短期決戦」であり
「成果至上主義」であり、失われた30年?
を取り戻すべく血まなこな風潮。

笑っていいとも。

という時点で、もうユルユルだが、
この30年の逆を走る「得にくい30年」の
象徴でもあったのかもしれない。

その時分を学生と社会人前半で過ごした私には
見得にくいものでもあるが、
100年単位で見たら、
キリっとよりダラっとほうが、
長いのかもしれない。
長く得がたいのかもしれない。

人生も、たぶんおなじ。


ちょうどその頃だったと思うが、SMAPの稲垣吾郎さんがある映画の感想をテレビで話されていた。その映画はアカデミー賞作品賞を受賞した『それでも夜は明ける』というもので、簡単にストーリーを紹介すると、十九世紀の中頃、奴隷制度が廃止される前のニューヨーク州で、自由証明書で認められた自由黒人のバイオリニストとして、愛する家族とともに幸せな生活を送っていた青年が、ある白人の裏切りによって拉致され、奴隷としてニューオーリンズに売られてしまうという物語で、南部の容赦ない差別と暴力に苦しみながらも尊厳を失わずに生きる主人公の姿が感動的に描かれている。

同上

この話をされた番組かはわからないけど、
香取慎吾さんのSMASTATION、で
映画を評論する稲垣さんの話は、
語る姿は、よく覚えている。
中身は覚えてないけれど。

この作品を見て、稲垣さんは次のようなことを話されていた。

同上

今は気づかないけれども、もしかしたら自分たちも百年後の人たちから見るととんでもないことをやっているのかもしれません、と。

同上

やってそうだ。

50年、いや30年前のやっていたことが、
「時代錯誤」だった、というのは、
「不適切にもほどがある」のドラマのヒットにも現れているのではないか。

そして当時は誰も疑うことなく当たり前で、
そこに自分も平然と暮らしていた事実。

なにがきっかけか、
ひとつではないんだろうけど、
どこかで誰かが時代の風を吹かせたんだ。

面白かった。泣けた。男気をもらった。映画の感想は数々あれど、これほど作品の心を食ったものがあるだろうか。
おそらくこの映画を作った人たちがまさに観客に伝えたかっただろうことをずばりと言い当てたもので、僕自身はこの作品自体はもとより、稲垣さんのこの言葉に心から感動させられた。

同上

それはたとえば、
「ありきたりな」感想ではなく、
どこかのだれかの
「愚痴っぽい本音」か、
「歯に衣着せぬ」感想か、
あるいは、
「先制攻撃」の蓄積かもしれない。

そしてそれは、キリっとしたものではく、
ダラっとしたもののほうからこそ、
微風の台風が起こしたものかもしれない。

北風ではなくそよ風になりたい。

残念ながら僕自身はSMAPについては代表的な歌をいくつか知っているくらいで、さほど詳しくないのだが、改めて記憶を辿ってみると、テレビや雑誌で彼らが誰かを傷つけるような場面を僕自身はこれまで一度も見たことがない。
二十年以上も世間からの注目を集めながらのそれは奇跡だと思う反面、百年後に生きる人から今の自分たちがどう見えるかという視点を持てる人たちだからできるのだと納得もする。

同上

SMAPが100年後なら、
私は、1000年後からどう見えるか、
まで飛ばさないといけないけれど。

30年後からみて?

と思うと、せめて自分の価値観や、
行動に関しては、違和感を持っておくように
したい。

30年後も、先輩風だけを吹かすわけには
いかない。

北風は太陽を認め、
太陽は北風を認め。

その力を合わせたら、
キリッともダラっとも、ちょうどいい、
塩梅になりそうだ。

今日もお付き合いくださり
ありがとうございます

いつの時代も、「笑っていい」友の存在は、
かけがえのないものだなあと、思う。
そう思いたい。

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