落語と小説
生まれて初めて落語というものに行きました
太鼓の音が聞こえます。
七五三で賑わう大阪天満宮のすぐ隣、という
こともありますが、この一角だけ昭和、大正に
タイムスリップしたような不思議な感覚に、
胸も高鳴ります。
桂三枝さん、桂小文枝さんと、
幼少期からテレビで見てきた方々を
リアルに間近に見れる、「落語」を聞ける
というので、さらに胸が高鳴ります。
開演から終演まで休憩いれて2時間半、
あっというまでした。
なにかに没入して見入る聞き入る笑う体感、
お客さん含めた会場との一体感。
「感動」しました。
「おはなし」の面白さはもちろんのこと、
身振り手振り、間、声の抑揚、スピード、
お客さんの反応を見ながら繰り出されること、
ときにお客さんを置き去りにして進んでいき、
お客さんが
必死にそれについていこうとすること。
表現者、創作者であること。
舞台ではたった一人であること。
何役もなりきること。
すごい。
同じお話でも、
違う人が演じるとまた違うそうです。
「自分らしさ」を表現し、
時に時事や風刺を織り交ぜ、
「社会に風」をふかせていくような。
「鯛」の気持ちになってみたりとか。
この創作プロセスや、
表現されるものは、小説に似ていました。
小説を一冊目かこうとしている、
落語を生まれて初めて聴いた私、
がえらそうなことは言えないのですが。
「任意の一点」を日常から探すこと。
目に見ていないものを、想像させる
ストーリーがあること。
行間にも意味を持たせること。
助詞、句読点、言葉遣いの変化によって
抑揚やリズムをつけること。
モノや人になりきること。
自分を投影すること。
お客さん、読み手にゆだねられていること。
ひとりであること。
自分らしさを演出すること。
「おもしろきこともなき世」を
おもしろくするものであること。
そして、「大阪人」でよかったなあ、
と思いました。
自分のアイデンティティ、オリジナリティ、
故郷、文化、歴史の上に自分があること。
それを土台に、どんな目を花を咲かせていくか
それもまた自分次第であり、
「創作」という舞台を大切にしていきたいと
「襲名披露」という一世一代の舞台から、
さぶいぼが出るほどに感じさせていただき
ました。
今日もお付き合いくださり
ありがとうございます。
みなさんも機会があればぜひ一度、
上方落語を聞いてみてください!