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文字に頼らず言葉に便る


朝の通勤時、
ランドセルをしょった子どもたちが
帰ってきました。
通勤路と通学路が交わります。

冬やすみがおわり新学期がはじまったんだなあ
というので、新鮮さをくれます。

通学路でさえ楽しそうな子どもたちの様子を
みると元気をもらいます。

なかには、いやだなあ、と思いながらの子も
いるかもしれません。
けれど、そうしてその道を、歩いていることが
尊いことだよと言いたい(声かけたらあぶない)
し、あ、自分も下向いてても、
こうして仕事に向かってること自体をまず、
ほめよ。と思います。

子どもたちが通学路にかえってきて
嬉しいことはもうひとつあります。

車の通る道や交差点に立つ、
おじさん、おばさんです。
(自分もおじさんです。ここでは
子どもたちからみて安心感ある男性女性、
42のおじさんからみても安心感ある先輩方)

だいたい週替わりで、交代で
おじさん、おばさんが旗を持って、
見守り、交通整理してくださってます。

このめちゃくちゃ寒い時期に、
一時間以上、と想像しますがたいへんです。

私はある通行人だし、
「見守る対象外」なんですが、
いつも挨拶してくださいます。

「おはようございます」
も嬉しいんですが、

「行ってらっしゃい」

が嬉しいんです。

なんかこう、しみます。
すごい、背中を押されます。

小さな声で
「行ってきます」とゆってます。

変な話ですが、
マニュアルにはないはずです。
そもそもマニュアルもないでしょうが、
こういうふうに見守ってね、ガイドしてねと
あるガイドラインはあったとしても、
42歳のおじさんに、

「行ってらっしゃい」という

筋書きもルールも、アドバイスなんかも
ないはずです。間違いなく。

なのに、言ってくださる。

冬休み中の喪失感はこれだったなあ、と
気づきます。

子どもたちの冬休み中の朝の通勤は
元気いっぱいの子どもたちがいないこと、
以上に、おじさんおばさんがいないこと。

「掛け声」

がないことでした。
挨拶ではなくエールでした。

ご本人方にとっては、
取り立てていうことでもなく、
当たり前でごくごく自然のことなんだろうと
思うとまた心があたたかくなります。

そんなふうに歳を重ねたいです。

きっとこのnoteをご覧になることはないし
ましてその通勤おじさんが私とは思わない
だろうけれど、いつか直接ありがとうゆいたい
です。

けどこうして、文字を読んだとしてもたぶん、
その熱力や表情はどこまでいっても伝わらなくて、たくさんの方に広く読んでいただける
「文字の魅力」はスマホ、SNSで
急速に恩恵を受けたのは間違いなくて。
それは古代、壁画の時代から、
刻まれる絵や文字は、口頭表現では
記録に残せない歴史を紡いでくれています。
が、同時に、
言葉(口頭)でしかないものの価値は、
ますます大きくなってるんじゃないかなあ。
記録に残らずとも、記憶には深く刻まれる、
その瞬間瞬間の温度を伴います。
湿度も含んでます。

文字(テキスト)に頼ることで
得たことの人類や私、は大きいんだけど、
あえて頼らない。
言葉(口頭)に頼ってみることで訪れる
人と人の間の便りがある、と
そんなことを思う冬の朝なのでした。

今日もお付き合いくださり
ありがとうございます。

今日の本心
明日はもうちょっと大きな声で
「行ってきます」とゆってみよう。

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