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素直な心で生きる


なぜ私がそのように素直な心の大切さについて、くり返し述べてきているのかといいますと、私は素直な心というものこそ、お互い人間として最も好ましい生き方をもたらすものではないかと思うからです。つまり、お互い人間は、みなそれぞれに真の繁栄、平和、幸福、すなわち身も心も豊かに、仲よく幸せに暮らしたいと願っていると思います。

「素直な心になるために」松下幸之助さん

素直の反対は、頑固。

素直は、性格ではなくて生き方なのか。
そして、頑固ではなく素直に生き変えられる。

素直は、関係。
空気を作り、社会を作る。

あ、でも、頑固が悪者みたいだけど、
そうとも思わない。

素直すぎると悪い人に騙される。
素直すぎると、相手に合わせ過ぎて疲れる。
素直すぎる私は、頑固者のように、
こだわり、主張し、我を通し、
自分の思い通りにしたい。

と、思うこともある。

でも、
それを選ばない人生でやってきた。

頑固がすぎると、変化は起きないから。
頑固者も、その周辺社会にも、
成長がないから。
と、感じることもあったから。

素直、時々頑固で。


ところが、現実にそういう姿がスムーズに実現されているかというと、必ずしもそうとはいえないように思われます。
その原因はいろいろあろうかと思いますが、基本的には結局、お互い人間の生き方自体に問題があるのではないでしょうか。つまり、みずからの願いというものを実現させるにふさわしいものの考え方なり心のもち方、さらには態度、行動をあらわしていない、いわば木に登って魚を求めるような姿を一面にくり返している。

同上

「木に登って魚を求める。」

素直であれば、川に行って魚を釣る。

素直な生き方は、
自分一人ではきっと限界があって、
頑固と素直と共存するこの世の中では、
素直と素直、がよい。

頑固と頑固だと、魚は釣れない。
木登り大会になる。


お互いが素直な心になったならば、人から何をいわれようと、また何事がおころうと、みずからの心にわだかまりやこだわりが残るということは比較的少なくなるのではないかと思います。

同上

お互いが素直になるには、
まず自分から。
悪かったなあとおもったら、謝る
(これが難しい)

「人からなにを言われようと」
というのはなかなか忍耐がいる。
でも、でもですよ。

頑固に頑固で返せば、
その場が収まらない、というよりは、
自分のなかに、わだかまりができるんです。

なんかこう、喉に魚の骨がいる。
木に登ったところで、とれない魚の骨が。

なので、
相手と素直になりあうためにも、
自分のためにも、素直になるのがいいんです。

その素直な心というものになるにはいったいどうすればよいのでしょうか。大切なことは、まず、お互い自身がすでにもともと素直な心をもっているということを、はっきりと認識するということではないかと思うのです。

同上

これ!

頑固な人に対して、
「あの人は頑固な人レッテル」をはってる。

仕事上、家族と、
宗教上、政治上、〇〇上。

人であれ組織であれ、部署であれ、
おうおうにして、「頑固やから」で、
片付けてしまうことで、
素直者も、頑固者にかわる。
自分に対してではなく、相手に対して
頑固になる。

ではどうすれば自分自身にとらわれない素直な心になれるのかといえば、その一つとして”自己観照”を心がけたらどうかと思います。これは、いわば自分の心をいったん外に出して、その出した心で自分自身を眺め返してみる、つまり客観的に自分で自分を観察することを心がけたらどうかということです。

同上

素直な自分も、頑固な自分も、
いったん外に出して、
それを眺めて観察する。

外に出す。
素直に外に出す。

「わかってるわ、自分のこと!」
となりがちだけど、まあとにかく外に出す。


昔から”山に入る者は山を見ず"とかいいますが、山の本当の姿は、あまり山の中に入りすぎるとわからなくなってしまいます。山の中にはいろいろな草木もあれば、石ころもある。それらも山の一部ですが、しかしそれだけが山の姿ではありません。

同上

自分のことは、自分が一番わからない。

思い通りになる

素直な心になれば、すべてに対して順応していくことができるから、何でも自分の思い通りにすることができるようになる

同上

素直になることは、
思い通りにならないことだと思った。

素直になることで、
外に出すことで、順応させられる。

頑固な汚れは、浮かして外に出す。
頑固すぎると、順応できないので、
結果、思い通りにいかない。

何事によらず、物事を自分の思う通りにやりたいというのが、お互い人間の一面の姿ではないかと思います。たしかに、人でも物でも、すべてが自分の思う通りに動いていくとしたら、一面これほど愉快なことはないともいえるかもしれません。

同上

そのように、素直な心になれば、物事なり相手に対して、自分のほうから順応していくわけです。相手をあるがままに認め、相手の思う通りにしながら導いていくのです。そうすれば結局は自分の思う通りになり、事は成っていくのではないかと思います。

同上

「相手をあるがままに認め、
相手の思う通りしながら導いていく」

というのはかなり高度なことだなあと
思うけれど、
この
「あるがままに認め」ということが
あってこそ。
自分の素直さだけでもだめで、
相手を素直にそのまま受け止めるところから。

相手のことさえも、
いったんふたりの議論の外にだして、
眺めてみるとから、なんだなあ。

素直な心を養うためには、まず、素直な心になりたいという強い願いをもちつづけることが必要である

同上

人間、生まれた時は、赤ん坊のころは
みんな素直だった。
ずっと素直な人はいないという前提と、
じぶんも素直じゃないかもと認めたうえで、
「養う」ということと、
強く願う、ようにありたい。

ペルサウス座流星群に、願いを込めて。
自分の心の平和と、世界の平和を。

今日もお読みいただきありがとうございます。

8月は、なんだかそわそわします。
オリンピックは閉会しても、
パラリンピックが開会しても、
平和の祭典は、心の中で素直に
生きていて欲しい。

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