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もやもやしたときは

「おとなの小論文教室」山田ズーニーさんの
新年の投稿より。


2024さいごに観た映画には、コミュニケーション不足に生じる誤解、そこから連鎖的に生まれるマスコミの誤報道、人と人のどうしようもない溝、悲劇が描かれていた。

同上

「コミュニケーション不足」は
日常のいろんなところで言われるけれど、
たいていその瞬間はそれが「もやもや」の原因
とは気づかずに流していることが多い。

たとえば「映画」という、ようなある物語から
客観的に眺めてみると見えることがある。

なぜ?を聞こう

と私は思った。おかしいなと感じたら、
すぐ、その場で、直接相手に

同上

「なんでそう言うんだろう?」
「なぜ、そんな行動をしたんだろう今」
と、なんとなく違和感をもったり、
「おかしいなあ」と首を傾げたり、
心がざわついたり、した瞬間をほっとかない。

「なぜいまそんなふうにしたの?言ったの?」
「いまのそれは、どういう意味で言ったの?」

と。ただ、
そう言うことは、相手を責めているように、
ともすれば聞こえてしまうから気が引ける。

が、それではミスコミュニケーションは広がる
し、もやもやは消えない。

いつから、何も聞かないこと、何も言わないことが美化されるようになったのか?

なぜ、と聞く人が野暮とか、無粋とか言われるようになったのか?

無粋と思われたくなくて、何も聞かない粋な人を気どって、私も、聞くべきときに、聞いてなかったな

同上

昭和57年生まれの私にはわからないことも
多いけれど、
もしかしたら昭和という時代は。
あるいは平成という時代は、令和よりも、
聞いたり、言ったりしてたのかもしれない。

いつでもどこでもコミュニケーションが
とれてしまうからこそ、スマホやSNSは、
「わざわざ言わなくても」とその会話の、
コミュニケーションのレベルを落とした?

「家族ならわかるだろう」みたいなものが、
会社や友人関係でも増えた、のだろうか。

関係性が希薄になった、といえばそれまで
だけど、「もやもや自体」「違和感を感じる」
ことそのものが希薄になったのか。

悲劇の前にはディスコミュニケーションが
ある

同上

ほとんどの場合が、そうなんだ。


ことしは、何も聞かない優しさに見せかけた怠慢はやめよう。おかしいな、と思ったらこう言おう

「もしよかったら、言える範囲でいいから、なぜ、か、教えて。言いたくなかったら言わなくていいから」

同上

私的なことだが、
2024年は
「思ったことが言えるように少しなった」
年だった。(それ以前は皆無に等しい)

だからこそこの投稿、文章に惹かれた。

だからこそ2025年は、
「もしよかったら、なぜだか教えて?」と、
「ちょっと聞く」ようにしたい。


聞けば、案外、なんの抵抗もなく相手が言ってくれることも、現実おおいのだ

同上

そうなんですよね。
聞けば、なんてことなくて、ああ、
聞いてよかったあ、で終わることの方が
ほとんどだ。
もやもやしたら、ちょっと聞く。

今日もお付き合いくださり
ありがとうございます。

今日の本心
違和感を無くしたら、おわりそうな気がする。

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