見出し画像

無いなかにこそ有るなにか


朝の種類
朝という言葉の響きに魅かれる。

「泣きたくなるような青空」
吉田修一


   夕暮れ
       夜
           明け方

それぞれに身を置くと魅力があるが、
おそらくかなり意識しないと感じにくいのが、
朝だと思う。

幼少期、児童期、学生期、社会人期と
そのいずれにおいても朝はバタバタしている。
文字通り。
何かが始まる予感を味わうまでもなく、
何かを「始めざる」を得ず追われるのが朝だ。

テストか仕事かで徹夜して明けたか、
パリやブラジルのオリンピック明けか、
飲み明かした朝か。
バタンQで味わう余裕がない。

だからなのか、
「朝という言葉の響き」という響きに
ハッとする。

たまにこの「朝」に出会うと、とても新鮮な気持ちになる。大袈裟にいえば、たとえそれが住み慣れた街の朝でも、まるで旅行先にいるような気持ちになるのだ。

同上

「朝」という旅行。
旅行先は朝だ。

いつもの街並みの朝に、出会いにゆく。

夜の歌舞伎町は少し物騒で緊張感もあり、誰にでも気軽に勧められる場所ではないが、朝の歌舞伎町というのはどこかぽかんと気が抜けている。街全体が居処をしているような感じで、どういう思考の流れからなのかは自分でも説明できないが、「なんか人間っていいなー」と素直に思える。

同上

出張先のホテルが繁華街なら、
翌朝6時の雰囲気がこれに似ている。

ついさっきの、深夜から夜明け前までの
喧騒とのギャップに耐えきれない朝が、街が
そわそわしている。

徹夜した人と徹夜した街は似ていて、
気だるさを残しながらも
「始まらざる」を得ない朝の宿命に、
人間らしさと自然らしさと街らしさが重なる。


これまで旅先で迎えた朝で、印象的だったものはどこだろうかと考えてみる。
まず浮かぶのは、豆漿(豆乳)の湯気が立つ屋台の並ぶ台北の朝だ。熱い豆漿に香ばしい台湾風揚げパンを入れ、これから学校や会社に向かう人たちが、まだ眠そうな目で食べている。
すでに日差しは強く、活気に満ちた一日が始まる予感に満ちている。

同上

これまで旅先で迎えた朝で、印象的だったのは
バイクと車のクラクションが鳴り止まぬ
じゃり道のそばで湯気のたつチャイを売る、
インドのアグラ。
朝日登るバラナシのガンジス川。
灼熱のイメージに反してひんやりとした
朝日に照らされる湯気は優雅に泳いでいた。

ヨセミテ国立公園にはハーフドームと呼ばれる巨大な岩山があり、この岩山が朝日を浴びるとピンク色に染まる。ロッジから車で数分の場所にあるビューポイントでこの景色も眺めた。目の前にはピンク色に染まったハーフドームをはじめ、壮大な景色が広がっているのだが、一切の音がない。

同上

朝と昼と夜の音は違う。
ふつう、に考えると、
朝の喧騒から夜にかけて、音は大人しくなる。

だからよけいに、
朝の無音は、活気づき、「始まる予感」の中で
ことさら際立つ。

これはとくに街中では得難くて、
自然、大自然の中でこそ味わえる無音の無常。

無いなかに有る、在るなにか。


自分が踏む小石の音が、朝の静けさの中に響く。風もなく、ただ目の前に壮大な景色だけがある。動くものといえば、遠くを流れていく雲が落とす大きな影のみ。

同上

小石の転がる音はふだんは、耳を澄ましても
聞こえないし、鳥のさえずりだってそうで。

雲は動いてるのに、雲の音はしなくて。
無い中に身をおくほど、得られるものが有る。

歌舞伎町からヨセミテ国立公園まで、各地には各地の朝がある。旅行に出かけて、各地の名所旧跡を巡るのも楽しいが、それぞれの朝を巡るというのもまた、新鮮な旅の仕方ではないだろうか。

同上

今度旅するときは、
場所を巡るのではなく時を巡りたい。

それは旅行先でなくてもきっと、
いつもの街の中にもあって、
音とともに、無音と共に楽しめるはずだ。

今日もお付き合いくださり
ありがとうございます。

風は強く吹くほど音がするけれど、
そよ風であっても、ものにあたると、
揺らして音を立てる。
そんなふうに生きたい。


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集