無責任
父からもらう本、は影響を受ける。
帯、は時に本以上に、影響が残る。
想像力にぶちこむ。
現実や理想にぶちこむのならわかるが、
そうではなくて、
想像力にぶちこむというのは
勇気をくれる。
それでいいんだ、それこそが幸福だ!
無責任な言葉ほど、実は影響が深い。
責任が問われる、責任を問うことが、
どことなく昔より強いと感じる世の空気の中で
あえて無責任さのなかに想像力が働く。
むしろ、生きる。
たった数行の伊坂さんの言葉・メッセージに
この先のページを巡らずにいられなくなる。
乱暴さという無責任さ。
「残るから先に行け」という無責任さ。
だから、よい。
360度の配慮に固められた、
優しさという名の無情さよりも、
突き放されることの中にある、愛。
そういう仕事がしたい。
そういうnoteを書いてみたい。
(勇気がかなりいる)
そういう生き様に憧れる。
(童心と書いて、憧れ)
作品を読むこと
読み終えた時のこと
読む前の高揚
ではなくて、読み進んでいる中にある快楽。
それこそが、快楽。
文を読む、文章を読むでもなく、
言葉を、読む。
賞をとる責任。
授与する責任。
ということでなく、
ある意味無責任に言葉を書き進める快楽の先に
言葉を読み進めるだけの無責任さがあり、
快楽がある。
そんな想像力をはたらかせて書く。
退屈だと言うのは、
決して無責任ではなく、責任ある言葉。
そして、沸き立つ創作意欲。
無責任は、自由だ。
自由に伴う責任ほど、豊かだ。
そんな生き方をしたいと想像をふくらませる。
今日もお付き合いくださり
ありがとうございます
真夏にのびた川沿いの雑草は、
無責任で自由なようで、まっすぐ整然と、
太陽に向かってのびのびと生きているように
見えた。