やわらかく、生きる
「あいまいさは論理と対立するものではない」
ことビジネスにおいては、
明快さ、ロジカル、端的であり解像度が
求められるし、
「あいまいさ」は、
考える努力不足、能力の低さと見られる。
同じ土俵に乗せるとそうなるので、
「あいまいという論理、土俵」をつくればいい
なるほど!
複線的な、伏線的な、
思考の広がりにもなるし、
なによりも思考したり対話したりする
「楽しみ」は、あいまいさの中にこそある。
東京オリンピックで話題になった、
「ピクトグラム」もそう。
道路標識も好き。
国内も面白いけど、
海外の道路標識は新鮮。
あと、車のナンバープレートの
4桁は最近選べるようになったので、
「この4桁の数字に込めた想い」を
想像するのが好き。
「言葉だけで思考しない」ことで、
言葉の思考が深まる。
とかく、「早まりがち」な現代。
ビジネスにおいても、SNSな生活においても。
「言葉の虚構性そのものまで否定しない」
あたまから即、全否定しない。
「あいまいさ」や「記号」のような
言葉の余白、思考の余白を、
正義や論理だけで奪われてしまうと、
読む楽しみ、書く楽しみ、
生きる楽しみさえも奪われてしまう。
ウソはいけないと早まる窮屈な世界。
美しいウソと、きたないウソがある。
エッセイを書いたり、
小説を書こうとすると、
その書こうとする記憶の曖昧さや、
現実と理想が入り混じる中で、
フィクションかノンフィクションかは
あいまいになっていく。
そのあいまいさは、善。
創造する営み。
「ひっかかり」は、
明快さ、ロジカル、端的、だけでは生まれない
「おや?」というのは、
ノンフィクションの鋭さや深さだけでなく、
フィクションによる想像からくる、
斬新さ、奇怪さ、歪さのなかにある。
ビジネスとアート(芸術や文学)は、
そもそも、別、と考えれば楽だし無用な議論。
かもしれないですが、
どちらも生きること、と思えば、
同じ土俵においてみて、やわらかく考えてみる
そしてきょうも、休まず書く。
noteがあって、よかった。
読者の方がいてくださって、ありがたい。
やわらかく、考える。
やわらかく、書く。
やわらかく、生きる。
今日もお読みいただきありがとうございます
やわらかく泳ぐジンベエザメと、
寄り添うマンタ。