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喜怒哀楽は「予想外」で起きる
生理反応的に正しい怒りとはなんでしょうか?それは人間の身体の仕組みに従った怒りであり、脳の反応に従った怒りということになります。これを理解し、やり方を会得すれば、怒りについてのこれまでの悩みはウソのように消えてしまうでしょう。
苫米地英人
「正しい怒り」と言われると、
正しくない怒りがあるのか?という疑問に
なります。
ただ、それは主観的なものではなくて、
「生理反応的なもの」と言われると、
怒りなんだけど、感情的にならずに、
かなり冷静に眺められます。
「身体が反応してるだけよね」から始める。
これは自分に対してもだけど、
相手に対しても、「怒ってる」と感情で捉えず、
生理的反応をしているんだ、と思えば、
ちょっと冷静に状況を俯瞰できそうです。
「なぜ、自分は怒れないんだ…・・・・・」、あるいは「なぜすぐに怒ってしまうんだ
…・・・・」などといった悩みも、”“身体の命ずるがままに”行動することによって、自然と解することができるのです。
逆にいえば、多くの人が身体の仕組みに従って怒っていないから悩むのです。
身体の命ずるままにー。なんていうと、
衝動的な感じがして、ほんまにそれで
怒ってしまっていいの?って思ってしまい
ますが、きっと、「怒らない・怒れない」
私はそれでちょうどよいんです。きっと。
身体の命ずるままに怒る人のことを、
なんでやねん、って敬遠してたけれど。
本当に敬遠してたのは、
「怒ることで嫌われるかも」ということ。
怒る自分を敬遠していたのでした。
喜怒哀楽といった人間の感情、情動どうやって発生するのかというと、実はたった一つのきっかけによって発動します。
そのきっかけが「予想外」です。怒りも悲しみも喜びも、すべての感情は予想外の出来事によって発生するのです。
予想外。
うーん、そうか!
となりました。
サプライズのプレゼント。
予期せぬ感謝・お褒めの言葉。
突然の別れ。
期待以上の遊園地、デート。
そして、まさかそんなことするなんて、
この人が。そんなこと言うなんて、この人が。
期待していたのに裏切られた。
という怒り。
たとえば、会社に行って、その日の朝に届く荷物が順調に届いていたとします。そこには喜びも怒りもありません。届いているのが当たり前だからです。ところが、昼過ぎになっても到着しなければ「今日必要なのに!これじゃあ、社外に出られないじゃないか」となって、腹が立ってくるでしょう、あるいは「なにかトラブルが起きたのか」と不安になるかもしれません。
もうひとつ例を挙げれば、買った宝くじが当たらなかったらどうでしょうか?そこで怒る人があまりいないのは、宝くじは大抵当たらないからです。しかし、当たった場合はみんな大喜びするはずです。
まあ、そうよね、というところには
喜怒哀楽が生まれない。
生まれても、身体が反応するほどではない。
びっくりです、そのとおり。
玄関にスリッパがあるのは当然です。なんの感情も湧きません。しかし、頭の上にスリッパがあったら意外です。ありえませんから、笑いになるのです。食卓の上にスリッパがあるのは意外です。だから、「誰だ、こんなものを食卓に置いたのは!」と怒りたくなるのです。
スリッパも、置き場によって変わるのだから、
これが人間の所作言動、なら、同じことでも
随分と変わるんだなあと、物凄い発見です。
その予想外を好むか、好まないか。その違いだけが喜怒哀楽を分けるのです。
同じことをしても、この人がやると腹が立たないのに、コイツがやると腹が立つというのも同様です。私たちはその境目を日々、歩いているということです。そして、その境目をしっかり意識することによって、自分の足元が見えてくるのです。なにをしていいのか、悪いのか、それが判断できるのです。
境目を彷徨っていました。
境目を意識することで、
自分がなぜ今喜び悲しみ怒り、楽しいのかと
いう情動が、自分の手の中にある状態になる。
頭や心ではなく、手のひらの上で目に見える
状態にすることで、自分に優しくなれる。
感情が動いたら、身体が反応するのは生体としての理です。常にセットなのです。そして、私たちは、それを本能的に理解していますから、身体反応を制御しようなどとは思わないのです、ただひとつの例外を除いては。
そうです。怒りだけはなぜかみんな自然な身体反応を封印しようとするのです。
感情は感情だけでなく、身体は身体だけでなく
つながってセット。
ハッピーセット、アングリーセット。
そして怒りは制御していてセットになりにくい
単品になりがちなんだと理解しておく。
単品は損した気になります。
セットが、お得。
怒るか、怒らないか、それを考えるだけでもストレスが溜まります。そして迷いながら怒る。あるいは迷いながら我慢する。すると、さらにストレスがドン!と上乗せされます。
ほんと、ストレス溜まります。
たいてい怒らないので、余計に溜まります。
我慢します。迷ってる間も、つかれます。
相手は、きっと怒ってスッキリしてるのに、
自分だけずっとモヤモヤしてるんです。
また、怒れば怒ったで、あんなことしなかったほうがよかったんじゃないかと後悔し、怒らなければ怒らないで、「なぜ怒れないんだ、俺は」と自分を責めることでしょう。結局、怒るか、怒らないかが問題ではなく、問題の本質は、迷いながら、中途半端な選択をすることだったのです。
境目があいまいだった、からなんだな。
どちらかといえば、怒らないことが選択肢で
はなく、決定事項でした、私。
でもどこかモヤモヤするということも、
決定事項でした、私。
なんもいいこと、ない笑
境目を意識し、都度選択するということを、
選択していく。
そこが出発点でした。
怒ることが、起こること。
予想外の時に起きていること。
なんだか怒りだけを扱うとしんどいんで、
喜哀楽も、ちゃんと身体であらわそう。
そっちが先かもなあ。わたし。
今日もお付き合いくださり
ありがとうございます
きょうよかったこと3つ
・自分からまた挨拶した。続けてると、そんなに抵抗感がなくなってきたし、結構気持ちがいいもんだなあ
・ごみを拾って、捨てた。わりとみんな、見て見ぬふりしてたのもあるけど、それはべつによくて、気になったことを放っておかずにいるほうが自分が楽だ。捨てるべきだった?とおもうストレスは、なしにしていこう。
・ああ、いま、楽しい、と思えた。