自分の鎧を脱いでみる。
「すっごい鎧を着てたな」
と、親しい人に、出会った頃を振り返って
言われたことがあります。
「もっとそれ、はよゆうてよ」
と思いましたが、それを言えないくらい
「鎧」を着てたんだと思います。
私にとっての鎧、
その時言われた鎧とは、
自分を取り繕って、大きく見せようとしている
自分を偽って、相手によく魅せようとしている
自分ではそれに気づかず、無意識に無理してる
ということ、だったんだな。
そしてそれを見透かされてた、というか
丸見えだったんだな、という
壮絶な衝撃でした。
そして、
鎧を着ている人と、
着ていない人とが、
見えてくるようになりました。
そう、護身なんですよね。保身ともいう。
だから、鎧に鎧を重ね鎧が自分かわからなく
なるくらいに。
猫を被る、比じゃない!
そうして、鎧は剣になり、
自分に痛々しく突き刺さる。
たまたま私も、同著を本屋の棚でみつけて、
これまた衝撃的に衝動買いして、
救われました。
あ、内向型ってアリなんや。
っていう素朴な、天使がおとずれました。
あのまましらずにいたら、
鎧人間でした。
忘れるんですよね、
努力してるのに。努力してるから。
そうしてそれも、きっと、
人生を彩る、必要なプロセス。
普通とは、マルチな自分を内包し、
自覚していること。
そして、鎧は、捨てなくても置いといて、
必要な時に、着ればいいのかあ、と。
二者択一でなくていい。
硬い鎧でなくて、
柔らかい鎧、ぬの。ぬののふく。
勇者は、硬い鎧ではなく、
柔らかい心を持っている普通の人。
なのかもしれません。
世の中に魔王がいるとして、
それはきっと、鎧を着た自分で、
その強敵を倒すも、味方にするも、
ぬののふくをきた、普通の自分。
裸の王様にならないように、
自分の好きな服を、着る。
今日もお読みいただきありがとうございます。
きょうはマクドがメンテナンス中で、
早朝にいけず、
ファミマのイートインに行こうとしたら、
まだあいてなくて(朝5時)
そうして見上げた空は、美しく。
マクドでないと、勉強できん!
という鎧は置きました。