音楽を聴いて離れない音響はあるけれど、
文字を読みながら、こびりつく音というのは、
初めて聴いた。
ビジネス書ばっかり読んできたせいか、
本にある音、文字の音から膨らませるイメージ
は、描けてこなかったんだと思う。
音楽と、文学、ってどこか似ている気がして。
ど、のつく素人のわたしがそんなことを語る
のはとてもおこがましいのだけれど。
どちらも、文字にして、音にして表現して、
それを理解したり感じたりする受け取り主が
いて。
自分にこびりついたものを、
だれかにこびりつくような感に変換する。
指がぴくと。
ノックをとん、とん。
ぴくっとではなく、ぴく。
とんとんではなくて、とん、とん。
飛び上がるに至る、
促音、読点が、息や間をつくる。
ばたばたばたばたと、はためいている。
ぱたぱたでも、
ばたばたでも、
ぱたっぱたっとでもなく、
ばたばたばたばた。
死と烈風と端午の節句。
恐怖ではなく可愛そうだというその、
差からくる、思わず身震いしそうな風情。
からからと鈴の音。
鈴の音は、優しい湿気を含んでいそうなのに
とても乾燥している。乾燥は無情に思える。
扉の音は、
ドン
キーっ
ギギーッと、様々。
扉を開く時は、場面が変わるときであることが
多いけれど、きっと自分が変わる時でもある。
感を預けるには、扉はぴったりだ。
キンキン。
きしりわめく。
鳥肌が立つ。
ばたあん。
開くだけでない、閉じるのもまた扉だ。
ぱたぱた歩き回る。
ばたんばたん。
ぱたぱた。
ばたあん。
オノマトペはだいたい幼稚さを残すが、
緊迫のシーンには、そのギャップが、そそる。
サイレントなんだ。
音がないのはビジネス書だけではなかった。
音がないことの、意味もある。
そもそもその発想がないのかはたまた、
音を読者に預け切っているのかもしれない。
世話物が、小説やエッセイをさすのなら、
音をつかいたい。
聞こえなくても聞こえてくるのは、
音ではなく、絵だ。絵を添えてくれる。
音を奏でるように、書いて生きる。
きょうも音を書く。
今日もお付き合いくださり
ありがとうございます。
木の葉の間から太陽が差し、瞳に。
雲は、炎のように。ゴジラのような、景色を
見つけました。
思わず切ったスマホカメラのシャッター音は、
カシャっではなく、
ガサっときこえた。