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音を書く


文字を読みながら、そこに表現されてある音響が、いつまでも耳にこびりついて、離れないことがあるだろう。高等学校の頃に、次のような事を教えられた。

「もの思う葦」
太宰治

音楽を聴いて離れない音響はあるけれど、
文字を読みながら、こびりつく音というのは、
初めて聴いた。

ビジネス書ばっかり読んできたせいか、
本にある音、文字の音から膨らませるイメージ
は、描けてこなかったんだと思う。

音楽と、文学、ってどこか似ている気がして。
ど、のつく素人のわたしがそんなことを語る
のはとてもおこがましいのだけれど。

どちらも、文字にして、音にして表現して、
それを理解したり感じたりする受け取り主が
いて。

自分にこびりついたものを、
だれかにこびりつくような感に変換する。

その芝居の人殺しのシイン、寝室でひそかにしめ殺して、ヒロオも、われも、瞬時、ほっと重くるしい離息。額の油汗拭わんと、ぴくとわが硬直の指うごかした折、とん、とん、部屋の外から誰やら、ドアをノックする。ヒロオは、恐怖のあまり飛びあがった。ノックは、無心に、つづけられる。


指がぴくと。

ノックをとん、とん。

ぴくっとではなく、ぴく。
とんとんではなくて、とん、とん。

飛び上がるに至る、
促音、読点が、息や間をつくる。

油地獄にも、ならずものの与兵衛とかいう若い男が、ふとしたはずみで女を、むごたらしく殺してしまって、その場に茫然立ちつくしていると、季節は、ちょうど五月、まちは端午の節句で、その家の軒端の朧か、ばたばたばたばたと、烈風にはためいている音が聞えて淋しいとも侘びしいとも与兵衛が可愛そうでならなかった。


ばたばたばたばたと、はためいている。

ぱたぱたでも、
ばたばたでも、
ぱたっぱたっとでもなく、

ばたばたばたばた。

死と烈風と端午の節句。
恐怖ではなく可愛そうだというその、
差からくる、思わず身震いしそうな風情。

五人女にも、だもが吉三のところへ夜決心してしのんで行って、突如、からからと鈴の音、たちまち小僧に、あれ、おじょうさんは、よいことを、と叫ばれ、ひたと両手合せて小僧にたのみいる、ところがあったと覚えているが、あの思わざる鈴の音には読むものすべて、はっと魂消したにちがいない。

同上

からからと鈴の音。

鈴の音は、優しい湿気を含んでいそうなのに
とても乾燥している。乾燥は無情に思える。


同じ扉の音でも、まるっきり違った効果を出す場合がある。これも作者の名は、忘れた。イギリスのブルウストッキングであるということだけは、間違いないようだ。ランタアンという短小説である。たいへん難渋の文章で、私は、おしまいまで読めなかった。神魂かたむけて書き綴った文章なのであろう。

同上

扉の音は、
ドン
キーっ
ギギーッと、様々。

扉を開く時は、場面が変わるときであることが
多いけれど、きっと自分が変わる時でもある。

感を預けるには、扉はぴったりだ。


細民街のぼろアパアト、黄白日、子らの喧噪、バケツの水もたちまちぬるむ炎熱、そのアパアトに、気の毒なヘロインが、堪えがたい焦操に、身も世もあらず、もだえ、のたうちまわっているのである。隣りの部屋からキンキン早すぎる回転の安蓄音器が、きしりわめく。私は、そこまで読んで、息もたえだえの思いであった。

同上

キンキン。
きしりわめく。

鳥肌が立つ。


ヘロインは、ふらふら立って鎧扉を押しあける。かっと烈日、どっと黄。からっ風が、ばた
ん、と入口のドアを開け放つ。つづいて、ちかくの扉が、ばたんばたん、ばたんばたん、十も二十も、際限なく開閉。私は、ごみっぽい雑巾で顔をさかさに撫でられたような思いがした。みな寝しずまったころ、三十歳くらいのヘロインは、ランタアンさげて腐りかけた廊下の板をぱたぱた歩きまわるのであるが、私は、いまに、また、どこか思わざる重い扉が、ばたあん、と一つ、とてつもない大きい音をたてて閉じるのではなかろうかと、ひやひやしながら、読んでいった。

同上

ばたあん。

開くだけでない、閉じるのもまた扉だ。

ぱたぱた歩き回る。

ばたんばたん。
ぱたぱた。
ばたあん。

オノマトペはだいたい幼稚さを残すが、
緊迫のシーンには、そのギャップが、そそる。


音の効果的な適用は、市井文学、いわば世話物に多い様である。もともと下品なことにちがいない。それ故にこそ、いっそう、恥かしくかなしいものなのであろう。聖書や源氏物語には音はない。全くのサイレントである。

同上

サイレントなんだ。

音がないのはビジネス書だけではなかった。

音がないことの、意味もある。
そもそもその発想がないのかはたまた、
音を読者に預け切っているのかもしれない。

世話物が、小説やエッセイをさすのなら、
音をつかいたい。

聞こえなくても聞こえてくるのは、
音ではなく、絵だ。絵を添えてくれる。

音を奏でるように、書いて生きる。

きょうも音を書く。

今日もお付き合いくださり
ありがとうございます。

木の葉の間から太陽が差し、瞳に。
雲は、炎のように。ゴジラのような、景色を
見つけました。

思わず切ったスマホカメラのシャッター音は、
カシャっではなく、
ガサっときこえた。

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