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「感動は、願望」


感動は、実は「捏造」してもいいし、
心の中から湧き上がる「願望」でもいいです。

『一冊でゼロから達人になる
「書く力」の教室』
直塚大成さん 田中泰延さん


「捏造」って聞くと、
えーっ!ってなりますが、
「願望」って聞くと、
しっくりします。

人が何かに感動するときって、
実際に起きた物語をまず想像するんですが、

例えばTEDで語られるビジョン。
I have a dream..に始まる演説。

そこまで壮大ではなくても、
七夕の短冊に、幼児らしいたどたどしい字で

「お兄ちゃんと仲良くできますように」

って、弟が書いてあるのを見たとき。
(実際のうちの短冊。いつも喧嘩してます)

今起きてない未来が、
ある物語、ある想いで載せられるとき、
感動になるんだっていう、
大発見でした。

それはまた、
「感動させてやろう」という魂胆ではなく、

素直な、素朴な、心の底から
湧き上がる、願望でいいんだなっと。

それを秘密にしておかず、
「書く」ことを通じて、行っていくこと。

「現実にはつらいこと、嫌なこと、思い出したくもないことがたくさんある中で、『こうだったらよかったのにな』って願っているところを書くんです。」

同上


それはまた、未来でなくて、過去でもいい。
実際に起きた過去ではなく、
起きて欲しかった過去。

あの時の選択が、
違っていたら、もっと良い今があったはず。
それは一言でいえば単なる後悔だし、
他人事でしかないし、
無意味に思われるかもしれない。

でも、あえてそれを
「書いて」教えてくれたら。
同じ失敗をせずに、より良い選択をできたら
という、

人の未来におすそわけ

してくれたんだっていう、感動さえ秘めてる。


仮説とは、ひとつのテーマ、あるいは着眼点をもって深掘りしていくときの「飛び石」みたいなものだと僕は思っています

同上


それらもまた、仮説。
感動を呼ぶことの仮説。

書いていると、自然と
「飛び石る」(無理やり動詞)
ことがあります。
いまもまさにそうです。


最初に当てずっぽうでも仮説を立てて、「本当にそう言えるか?」と調べたら、知らなかった事実が見つかって、別の仮説が立った。さらに調べたら、また知らなかった事実が見つかって、また別の仮説が立ったーと、まるで飛び石から飛び石へと伝い歩くように、変容していっていいものなんや。

同上

「感動は捏造でいい」
という仮説。

そこから、
「感動は、未来にも、過去にもある」
「書いてこそ伝わる」
「後悔を、未来のだれかのおすそわけに」

などなど。

意志が飛びます。

大切なのは、変容した仮説が芋づる式につながっていることやね。

いくつかの仮説が揃ったところで、最初に立てた仮説がピント外れだったのか、いい線行っていたのか、ドンピシャだったのかー

同上

本からいただいた仮説、だけれど、
そこから広げていくのは自由だし、
いい線にいかそうが、ずらしてこうが、
自由で、素直で、あなただけのもの。

結論はどうあれ、いくつかの仮説→結論という組み立てができていれば、おもしろく読ませられるものになるんです。

同上


面白く読まれたら嬉しいです。
じぶんは、面白かったから、よしと・・

「読みたいことを、書けばいい」

と、繋がった!

今日もお読みいただきありがとうございます

雲も、ぽつんぽつんもいいけれど、
つながってる、変に繋がってるのが、
面白いです。



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