![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/146746040/rectangle_large_type_2_603383d946bcd4dae5cb8440c0762d0e.jpg?width=1200)
「感動は、願望」
感動は、実は「捏造」してもいいし、
心の中から湧き上がる「願望」でもいいです。
「書く力」の教室』
直塚大成さん 田中泰延さん
「捏造」って聞くと、
えーっ!ってなりますが、
「願望」って聞くと、
しっくりします。
人が何かに感動するときって、
実際に起きた物語をまず想像するんですが、
例えばTEDで語られるビジョン。
I have a dream..に始まる演説。
そこまで壮大ではなくても、
七夕の短冊に、幼児らしいたどたどしい字で
「お兄ちゃんと仲良くできますように」
って、弟が書いてあるのを見たとき。
(実際のうちの短冊。いつも喧嘩してます)
今起きてない未来が、
ある物語、ある想いで載せられるとき、
感動になるんだっていう、
大発見でした。
それはまた、
「感動させてやろう」という魂胆ではなく、
素直な、素朴な、心の底から
湧き上がる、願望でいいんだなっと。
それを秘密にしておかず、
「書く」ことを通じて、行っていくこと。
「現実にはつらいこと、嫌なこと、思い出したくもないことがたくさんある中で、『こうだったらよかったのにな』って願っているところを書くんです。」
それはまた、未来でなくて、過去でもいい。
実際に起きた過去ではなく、
起きて欲しかった過去。
あの時の選択が、
違っていたら、もっと良い今があったはず。
それは一言でいえば単なる後悔だし、
他人事でしかないし、
無意味に思われるかもしれない。
でも、あえてそれを
「書いて」教えてくれたら。
同じ失敗をせずに、より良い選択をできたら
という、
人の未来におすそわけ
してくれたんだっていう、感動さえ秘めてる。
仮説とは、ひとつのテーマ、あるいは着眼点をもって深掘りしていくときの「飛び石」みたいなものだと僕は思っています
それらもまた、仮説。
感動を呼ぶことの仮説。
書いていると、自然と
「飛び石る」(無理やり動詞)
ことがあります。
いまもまさにそうです。
最初に当てずっぽうでも仮説を立てて、「本当にそう言えるか?」と調べたら、知らなかった事実が見つかって、別の仮説が立った。さらに調べたら、また知らなかった事実が見つかって、また別の仮説が立ったーと、まるで飛び石から飛び石へと伝い歩くように、変容していっていいものなんや。
「感動は捏造でいい」
という仮説。
そこから、
「感動は、未来にも、過去にもある」
「書いてこそ伝わる」
「後悔を、未来のだれかのおすそわけに」
などなど。
意志が飛びます。
大切なのは、変容した仮説が芋づる式につながっていることやね。
いくつかの仮説が揃ったところで、最初に立てた仮説がピント外れだったのか、いい線行っていたのか、ドンピシャだったのかー
本からいただいた仮説、だけれど、
そこから広げていくのは自由だし、
いい線にいかそうが、ずらしてこうが、
自由で、素直で、あなただけのもの。
結論はどうあれ、いくつかの仮説→結論という組み立てができていれば、おもしろく読ませられるものになるんです。
面白く読まれたら嬉しいです。
じぶんは、面白かったから、よしと・・
「読みたいことを、書けばいい」
と、繋がった!
今日もお読みいただきありがとうございます
雲も、ぽつんぽつんもいいけれど、
つながってる、変に繋がってるのが、
面白いです。