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「高度経済成長期」と私


朝の通勤電車用
帰りの通勤電車用

で違う2冊を読んでると、
時々交差する瞬間があって、
たまらないです。

狭い範囲✖️狭い範囲
🟰壮大で深海。

「バブル」とジュリアナ東京の映像がセットで流れ、お金のせいで心の豊かさが失われた、と、わかったふうな、でも結局なにも言っていない雑な言葉でまとめられて、その単純な「物語」が長い間流通してきた。戦後の焼け跡から復興し、高度経済成長期のころの人たちはがんばった、希望があった、そしてバブルで生活は豊かになったけど心はすさんだ、これから日本は下り坂で誰もが貧しくなっていくことが当然だから、と、賃金も公的サービスもどんどん削られ続けた。

「大阪」柴崎友香さん

「わかったふう」でした。

1982年生まれなので、バブルらしい記憶は
ないんですが、ジュリアナ東京です。

そういえば、バブルの時は、
バブルといわずに、
崩壊したあとに、バブル、って
ゆったんでしょうか(わからないけど)

「結局なにも言ってない
 雑な言葉でまとめられ」

ビッグワードでしょうか
(ビッグワードという言葉もビッグワード)

これ、自分も言っている。
管理職で、チームをまとめあげていく、
みたいな時にやってしまってる気がする。

「単純な物語の流通」

1982年生まれのわたしのバブルも、
1962年生まれの先輩のバブルも、
同じ時期の一億通りのバブルがあるのに、
単純化して、一緒くたにして
物語られるのって。なんでなんでしょうね。

どこかのだれかのプライド?

戦後復興、高度経済成長期の
大先輩方のがんばってくださってきた
おかげでいまがあるのは
まちがいない。
そして、失われた30年を生きてきた
1982年生まれの私は、
そうすると、「失わせた」
者として語り継がれるのだろうか。

心が荒んだ40代、となるのだろうか。

やっぱり、一緒くたにはなれない。

というそれも、プライド?

日本は、下り坂?

わたし、下り坂?

それを決めるのは、誰なんだろう。

小林カツ代が戦っていたのは、レシピの数でも、料理の鉄人でもありませんでした。高度経済成長が生み出した「家庭の料理」の思想そのものです。
小林は『食の思想』で、「私は『家庭料理』って言葉の裏に、ねちっ、どろっとしたものを感じてしまうの。そこには、家庭=主婦=食事を作る人、という図式がもう見え見え」と語り、高度経済成長期に定着した家庭料理の背景を批判しています。

「千年の読書」

「家庭料理」
って、なにげなく使ってたなあ。
1982年生まれ。

母の味は、専業主婦の、母の味。
家庭に留まらない、社会の食。

「家庭料理」も時代と共に移り変わる。
なんていえば、うすっぺらくて。
でもたしかに、そこにあって。
全肯定ではないけれど、
否定したくない子供心もあって。

でも、大人心としては、
時代背景を知っておくことは善。

善?プライド?

とにもかくにも、
よりよく生きて、
よりよい世の中にしようっていう
個と集団の集積。

だとも思う。思いたい。

評論家ではなく、実践者であろう。

というのが、いまの自分のせいいっぱいでした


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