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「事情」と向き合っていく


演劇の演出家は、人間とつきあうのが仕事です。つまりはずっと「人間ってなんだ」と考え続けているのです。
まったく理解できない行動を取る俳優やスタッフに対して、「どうしてあんなことをするんだろう」「何を考えているんだろう」と相手の立場に立って考える訓練をずっとしてきました。

「人間ってなんだ」鴻上尚史

人間とつきあうのも、
相手の立場に立って考えるのも、
大小あれどあらゆる仕事で共通しそうなのに、
演出家という仕事が他と違うことが
あるとしたら、

人そのものが「商品」だからなんでしょうか。

作家なら作品。
会社員なら、モノやサービス。
写真家なら写真。

コト消費と呼ばれるような、
体験を売るイベントなどもまた人そのもの、
というわけではない。

「人と物語」を
買ってもらうにはとことん人と向き合わないと
でてこないからなのかな。


それは、「道徳」とか「優しさ」の話ではなく、そうしないと仕事ができないからです。なんとか演劇という共同作業をするためには、相手を愛するとか好きになるとかではなく、相手の立場を理解することが必要だからです。
それはつまり、相手の「事情」を理解するということです。

同上

道徳や優しさに陥りがちなのが、
人と仕事をして何か別のモノを作り出す時。

愛するとか好きになるという情は、
人に対してではなく、「演劇そのもの」に
注がれてこそ、なのかな。

僕は演出家として、ずっと「どんな人にも事情がある」と思って仕事をしています。同情するかどうかは別にして、その「事情」を知ることが、共に仕事をするためには必要不可欠なのです。

同上

事情ってありますね。
私にもあるし、仕事をしていく上で、
特に最近はその事情への「配慮」が求められる

だけど、配慮どころじゃないんだろうな。
遠慮なんてしてられない世界で、
むしろ、しっかりと「考慮」して、
その人の魅力や、AさんとBさんを掛け合わせた魅力を引き出す。

事情でさえも、演劇にあらわれるということ
なのかな。


それがようやく言葉になったのが「シンパシー(sympathy)」と「エンパシー
(empathy)」の違いでした。シンパシーは「同情心」です。「シンデレラはずっと奴隷のように働かされて可哀そうだなあ」という同情する心です。思いやりとか慈しみの心ですね。

同上

会社員の仕事では、
おうおうにして同情、思いやり、慈しみが
大切です。
大切だというバイアスなのかな。

エンパシーは「相手の立場に立てる能力」です。エンパシーは今、「共感力」なんて訳されたりしていますが、これだと誤解される可能性があると僕は思っています。

同上

情ではなく、能力。

「シンデレラの継母は、どうしてあんなにひどいことをシンデレラにしたんだろう?」と考え「ひょっとしたら~という理由だろうか」と考えられる能力が「エンパシー」です。
つまり、シンデレラの継母に、一切、感情移入する必要はないのです。

同上

一緒に働くメンバーに、
感情移入しない。って難しい!
たぶん、移入してもいいんだろうけど、
移入しすぎないことと、移入していることに
気づくことと、移入したうえできちんと、
離れて俯瞰できることの方が大切なのか。

大切なことは、相手の「事情」を考えられることです。これがエンパシーの能力です。
そして、能力という限りは、それを育てることができるのです。
シンパシーは、感受性の問題として語られがちです。感受性ですから、ある部分は天性のものだと思われています。育てても限界があると。
でも、エンパシーは能力です。能力は育て上げることができるのです。

同上

考慮する能力。

モノやコトを売るにおいても、
「共感が大事」と言われて久しいけれど、
共感ではなく、事情をあたまで考えられて
設計されているかどうか。

会社員の仕事で言えば、
その人の経歴、キャリア、価値観、
家庭、環境、住まいや暮らし。
プライバシーとも言われる部分にも
踏み込むような、
メンバーの事情と、同時に、
お客様の事情を知り尽くした上で、
「演劇」のような
パフォーマンスを買ってもらう。

これって自分にこそいえることで、
自分が自分の事情をちゃんとわかってる。
ことが、
生きること、暮らすコト、
書くことのパフォーマンスを変えるものに
なるのかもしれない。

今日もお付き合いくださりありがとう
ございます。

事情ってなんだか、ともすると
マイナスイメージを醸し出すけど、
プラスにとらえていいんだな、
特に自分に対しては、と思います。

迷ったらシンデレラを思い出す。

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