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羽織る光【健文会活動報告書】

【健文会活動報告書_vol.5「着物京都旅」】

健文会は京都市の協賛かというくらい、京都とゆかりが深い。
それだけ私たちにとって特別な場所なのだ。

今回はそんな中でも、5回目の旅「着物で京都をめぐる旅」について筆を執ろうと思う。


冬の寂光は、雪によって寂しさだけが増すもので、見るものをその空気に包みこむ。
着物を羽織れば、より一層悴んで、もう一枚もう一枚と羽織りたくなってしまうものだ。

今回の旅では、はじめにレンタル着物屋を訪れた。
奥まった場所に設られた建物に足を踏み入れると、リノベーションされたような暖かな内装に、ところ狭しと着物が用意されていた。
その中から自分が着たいものを選んでゆくのだ。心踊る瞬間だが、この選択は今日一日を左右する重大な決断。艱難を極める。

京都と言えばの裏道感

ひとりの男に関しては、テーマカラーが緑と決まっているため、順当に事が運んでいたように思う。
彼は根っからの緑好きで、街の至る所にある緑を探索する能力が高い。
別に福山通運が好きなわけでも、スーモにお世話になったわけでもないだろうが、緑(色)を愛する男だ。

一方自分は、これぞと言うテーマカラーを持たない人生であった。試着の際にも「これ系かなぁ」という皆の評論こそあれど、それは「系」止まりで、明確なイメージを伴ってバチっとハマる色はないような気がしている。
結局その時は、紺の着物に臙脂の帯を〆め、漆喰色の白い羽織をまとうことと相なった。人呼んで「よくばりセット」である。

人に着付けてもらうのは経験がなかったが、新鮮だった。想像の5倍の力で帯を〆め上げられ、内蔵の位置がたぶん変わった。
歌舞伎役者の早着替えもこんな感じなのだろうか。

男勢の着付けが終わって暫し待つ間、2人で小話をしたような気がするが、内容は覚えていない。
手提げの籐バッグが小さく、何を入れていくべきかと選定をしていると、女性陣が階段を降りてきた。

大和撫子はやはり着物がお似合いである。髪飾りもこだわりが見えて、デザインも凝っていて、「男ももっとバリエーションが欲しいなぁ」とさえ思った。

写真撮影タイムにそのまま突入。だが、スタジオアリスを彷彿とさせる小道具に少し笑いが込み上げてきた。もちろんおしゃれなのだが、これが「盛れる」ということなのかと実感した。

私たちまるで「映え」の人やん

撮影タイムも終わり、いよいよ京都の街に出歩くこととなった。
行きは軽快に駆け上がった坂道が、雪駄だととても長く感じる。人類はかくして、スニーカーというものを発明したのだと腑に落ちたが、雪駄で歩くのもなかなかに乙なものである。

昼どき。お腹が空いてきた頃だ。
着物を纏って食べたいものは蕎麦である。
着物と京都と蕎麦という、これ以上ないマリアージュを心の底から堪能した。


私たちの旅はしばしば、芸術に触れることで心の機微を調節している。
今回は「アンディ・ウォーホル展」にお邪魔した。

於 京セラ美術館

アンディーウォーホルは、「ポップアートの旗手」として世界的に著名なアーティストである。
その一方で、常に「芸術とは何か」という論争の渦中にいた人でもあった。
伝統的な技法や思想性、コンテクストを持たない作品群は、コマーシャリズムの産物であるとの批判もある彼の展覧会。それを着物をまとった集団が鑑賞している光景は、他の人からするとそれこそ面白い光景だっただろう。
齋藤飛鳥の音声解説を聴きながら、館内を巡ると、《キャンベルスープ缶》や《マリリンモンロー》などの有名作品を拝むことができた。また《銀の雲》というインスタレーション作品では、体験型ということもあり、着物の袖をぶん回しながら浮かぶ銀の雲をトスし回した。
まさしく、童心的で文化的な空間であった。

鑑賞後は暫し椅子に座って休息をした。流石に歩きすぎたのだ。女性陣持参のチェキは、いかにもレトロな雰囲気が良い。調子に乗って何枚も撮ってしまう。
こういうときは、後先考えないほうがいいのだ。


健文会は、自分の知らないテリトリーへの躊躇いがない集団だ。だから、知らなくても面白そうならとりあえず行ってみるという行動原理が働く。

京セラ美術館を後にした私たちは、漢検ミュージアムに足を運んだ。ここは私が何としても行きたかったところである。
好みが分かれるタイプの施設であるゆえ心配していたが、杞憂であった。
漢検の過去問を解いたり、漢字の瞬発力バトルをしたり、体で漢字を作るゲームまでしたりするはっちゃけぶりである。
展示に充実した館内にあって、皆で心ゆくまで堪能したのであった。

そそられる 漢字の塔

旅の締めに私たちは辻利に立ち寄った。
やはり、着物と抹茶の組み合わせは欠かせない。
パフェの聳ゆる峰の高さに一瞬固唾を飲んだが、1日で相当の燃料が使い果たされていたようで、あっさり完食してしまった。

皆大満足の面持ちで、いや、燃え尽きた面持ちで「着物の巣」へと還り、私服姿に戻った。
さながら24時のシンデレラの心であった。


冬の厳寒を時折感じながらも、旅のあいだ私たちは他のことに夢中で寒さを忘れることが多かった。
室内アクティビティが多いのもそうだが、私たちの好奇心の暖炉が終始灯っていたこともあるだろう。

私たちはそれぞれに好きがあり、苦手がある。
そして、そのこと自体を好んでいる。
お互いの持てる「好き」を重ね合い、一緒に愛でることで暖かさを産んでいるのだと思う。
本当に得難い人たちを得られたものだ。

皆で羽織り合うことで、社会の厳しい冬を免れる。
そんな光を追い続けていきたい。
そんな旅を続けていきたい。

羽織る光は、あたたかい。

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