無重力ピカソ

突発性詩人。

無重力ピカソ

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マガジン

  • 健康的で文化的な旅をする会

    • 30本

    「健康的で文化的な旅をする会」略して「健文会」の活動をまとめています。会員が適当に喋っていることもあります。

最近の記事

海峡とニッカウヰスキーの夜

国生みの聖地・淡路島に研究室旅行で訪れた。 何度か来たことがあるその島は、毎回違う表情を見せてくれるから不思議だ。 研究室旅行は、普段はそこまで話さない先輩方とも親交を深められるいい機会だ。そして、それぞれの見たことのない側面が見えて面白い。 車内ではそれぞれの選曲するおすすめ曲が輪番で流れ、音楽の趣味を窺い知ることができる。 音楽の趣味は、その人が何を頼りに人生を歩んできたかを測る絶好の試験紙だ。 修士二年の先輩は、ヒップホップもロックもポップスも総じて聴く、根っからの

    • 羽織る光【健文会活動報告書】

      【健文会活動報告書_vol.5「着物京都旅」】 健文会は京都市の協賛かというくらい、京都とゆかりが深い。 それだけ私たちにとって特別な場所なのだ。 今回はそんな中でも、5回目の旅「着物で京都をめぐる旅」について筆を執ろうと思う。 冬の寂光は、雪によって寂しさだけが増すもので、見るものをその空気に包みこむ。 着物を羽織れば、より一層悴んで、もう一枚もう一枚と羽織りたくなってしまうものだ。 今回の旅では、はじめにレンタル着物屋を訪れた。 奥まった場所に設られた建物に足を踏

      • ジャスミン, カフェオレ, …ジャスミン?

        出先でドリンクを調達するとき、何かと悩んでしまう。出勤前、脇目も振らず水を買っていた日々が長く続いていたが、今は久しい。 日々の飲料にすら逡巡しては、社会生活がままならないのではないかと気が気じゃないが、そればっかりは一度背負った十字架。仕方なくこなしている。 ことの発端は、塾の生徒との会話だ。 ある日の授業で、高一の女の子がルイボスティーを飲んでいた。 コンビニのバイト仲間などで結構飲んでる子を見かけていたので、思わず「最近よくそれ飲む子見かけるわー」と話しかけた。 す

        • からあげのイデア

          テスト終わり、山口町を直走りながら道路沿いを見ると、立ち並ぶ風景が想像を膨らませさせる。 テストがたぶん満点であるという驕慢が、いつもは褪せた景色を彩ってくれているのだろう。 道沿いのローソンのバナー広告で、「海からクン」というフェアが打ち出されていた。海老が唐揚げになったならさぞ美味かろう。 新しい商品が「海からクン」であるなら、元の商品である「からあげクン」は「陸からクン」になるのだろうか。 よく考えると、普段「からあげ」と称して販売されているホットスナックはだいた

        海峡とニッカウヰスキーの夜

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          夜のない街と夜だけの街

          「夜がない街」というと、皆さんはどこが思い浮かぶだろう。 私にとって、その代表格は「心斎橋」の風景だ。 ある夜、友達と一緒になんばまで車を出し、アメ村の三角公園でたこ焼きを食べたときも、およそ静まり返ったとは言えない様相だった。 その異世界感からか、私は意識せずに塩マヨネーズ味という食べたことないテイストに挑戦してしまっていた。もちろんおいしかった。 ライブ終わりに呑んだとしても、外を出れば、時間の流れを感じないビビットなネオンの光が外壁に纏わりついている。 「焼き鳥」「

          夜のない街と夜だけの街

          神は「ぼやけた輪郭」に宿る

          絵を描く下準備として、スケッチを描いていた。 何を描こうか方針もなく始めたため、最初は意識が何もなかった。 けれども、無意識でも描き続けていた。 すると、拙いながら、何とか具体化しようと画策していた中で、だんだんとこうしたいという像が浮かんできた。 描いては消し、ではなく、描き重ねることでイメージを鮮明にさせる。それは私たちの言葉もそうかもしれない。 「手」という言葉も、もともとは体の部位を指す言葉だったが、使われていく過程でいろいろな意味が付け重なっていったわけだ。

          神は「ぼやけた輪郭」に宿る

          インナーチャイルド・ヘヴン

          ここのところ、自分の中の本質的な「子供っぽさ」に嫌気が差している。 と、太宰は言うが、私にはこの言葉がとても深く見える。 私の姿は、大きな裏切りにもあってないのに、勝手に傷つく子供なのだ。 今から満たされようとしていた心の器。できる限り大きく作って待っていると、とうとうその水はやってこず、ただ空虚な入れ物だけが心に存在するような感じだ。 芸人の又吉直樹さんが、三島由紀夫賞の候補者になったとき、一応の準備としてジャケットを用意したそうだ。 結局、賞は取ることができなかった

          インナーチャイルド・ヘヴン

          七夕島奇譚

          幼い頃は、七夕に飾られている笹や短冊に、ノスタルジックな魅力を感じていた。けれど、今やその幻想性を肌で感じることは失くなった。 秘めたる「願い」を書き記して天に託す。子どもだからこそ、恥じらいなく無垢な願いを晒せるという面もあるかもしれない。 そう思うと、今の自分の願いらしきものが、咄嗟に思い浮かばないことに気付かされた。 いや、「思い浮かばない」と言っている時点で、普段から気に留めてないようだ。 何を願い、自分が今いるのだろう。 いろんな施設に置かれている七夕笹を見

          BeReal戦争

          BeRealが流行ったのは、みんながひとりぼっちだからだと思う。 ある日のスタジオ練習。唐突に他のみんながゴソゴソし出したら、大概「あぁあれか」と辟易とする。 もちろんみんなの写真には笑顔で映るが、それは「よくこのシステムを使いこなすなぁ」という感心の表情だ。 1日の中の意図せぬタイミングで来る通知。そして、それに咄嗟に反応して2分以内に写真を撮らなければならない。BeRealの基本ルールだ。 現代人はデフォルトでせっかちになっているが、それに拍車をかけるような流行に、今

          ウルフカットスモーカーの夕暮れ

          コンビニでバイトをしていると、不思議なほどいろんな人が目に映る。 そんな人たちを、バイト仲間たちと人間観察するのも、この仕事の面白さだ。 190cmはありそうなヨーロッパの男性は、お釣りを渡すとカタコトで「アリガトウ」といつも伝えてくれる。 かと思えば、タクシー運転手のおじちゃんは、無愛想に好みの銘柄の番号のみ呟き、顔色ひとつ変えずに店を去る。 ベビーカーを引いて毎回大量の買い物をする家族もいる。無垢な瞳でこちらを見つめるお客さまに微笑むと、微笑み返ししてくれて、卒倒し

          ウルフカットスモーカーの夕暮れ

          エロスという仮面

           エロスを遠ざけて忌避することも、ファストに消費することも、人生半分損することだ。どうせなら、その仮面を深く覗きこみ、思いっきり赫灼と笑い飛ばしたいものだ。  先日、知人に連れられて東京スカパラダイスオーケストラのライブに参戦した。  スカパラといえば、ダンディを極めた錚々たるメンバーが織りなす、明るくも魅せられる音楽。酔いやすいのに、飲みやすい。ロングアイランドアイスティーのようにALC.度数を感じさせない恐ろしさがあると言える。  初参戦で感じたのは、年齢層の幅広さ

          エロスという仮面

          《puddles》軈て晴やかな

           私がライブに行くときは、雨が多い。  もちろん、空気がどんよりする。しかし、音楽にのめりこむギルティな気分から掩耳盗鐘させてくれる薬でもある。  先日、シンガーソングライター・TOMOOのライブに参戦した。タイトルは《puddles》。水たまりという意味だ。彼女はMCの時間になるたび、そのタイトルに込めた意味を私たちに語っていた。ーー  水たまりとは鏡のようなものだ。雨空も、その後の晴れた空も写し取り、光を反射させる。みんながその上を飛び越したり、バシャバシャ足を突っ

          《puddles》軈て晴やかな

          雨を呼ぶカルテット

          これまでの人生でたびたびブログというものを書いてきたが、まさか私的サークルで筆を執ることになるとは思わなかった。あまりの驚きからか今患っている咳が20秒止まったが、その後再びコンコンと喉が騒ぎ出したことからも、この出来事に妙な納得感も抱いていると感じる。 ーーーーーーーー 大学生になってからひょんな経緯で集った4人は、つくづく「人間は面白い」ということを体現している。金子みすゞが現代人であったとしても、私たちを見れば、かの境地に辿り着くだろう。この奇妙なカルテットは、皆が

          雨を呼ぶカルテット